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故郷は離れてみてはじめてその良さがわかるものです,安曇野しかり、日本しかり。
生まれ育った信州安曇野は西に日本アルプスとよばれれる標高2,3000メーター級の山が南北に連なり東に連なる通称東山と呼ばれる1000メーター弱の山々に挟まれたかなり閉ざされた地理的環境にあります。
思いのままに日本をながめてみると日本の多くの地形は高かれ低かれ山に囲まれ山とは深いかかわりがあるのですね。
実際新宿駅を特急あずさで出発すると八王子を過ぎた頃から深い山に入り込みそのまま新潟の糸魚川直前まで山が続いているのですから。
昭和30年代の安曇野から今の安曇野のかわり様はどこの田舎にも共通しているのでしょう、
高速道路は安曇野のど真ん中まで通じ都合はよくなったものの景観がそこなわれはじめています。
新しい住宅は山の裾野まで広がり今までのつつましい安曇野風景がその昔のものとはだいぶ変わってきました。
これも時代の流れと受け入れていくしかないでしょう、美しい自然を代償にどこまで便利さを求め続けそれに歯止めをかけることができるかこれからの田舎開発の問題となるでしょう。
またここ安曇野は静岡から糸魚川に通じるフォッサマグナの真上に位置しています、小学生の頃社会科の時間ではじめて知った時はそんなことを誇りに思ったものですが今ではそんな思いを改めねばなりません。
こんな短い滞在期間中でさえ三回も地震があったということはいまだに余震が続いているのでしょうか。
今回の帰省は夏のうちでも一番暑いお盆の時期で安曇野でさえ焼けつくようなような日中でした、
夜になると結構涼しい風が入り昔は近所の皆が椅子を家の前に持ち出し夕涼みをしたものですが今ではそんな光景は見ることはできません。
いつからこうなってきたのでしょう、僕たち若い人間が都会へと流れていったことも大きな引き金になっていたはずです。
老いた父はいまだに自給自足で野菜作りと稲作に余念がありません、一人なのだから買った方が安上がりとも言えるのですが自分で作った無農薬野菜が一番だと頑固に作り続けているのです。
姪や甥、そして従兄弟や叔父にも久しぶりに会い真夏の暑さも冷たいビールと簡素な肴でむかし話しに盛上がっていました。
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