幼児体験の記憶の彼方からの「怒涛のような拍手」を、夢の中で見たのは何故かしら?
と不思議でならず、いろいろ考えて眠れなくなった。父の妹が上野音楽学校(今の芸大)
出の声楽家だったためか、まだおむつをして母におんぶされているのに、歌はすぐ
覚えハッキリ歌う、私に甘かった父は「きっと天才に違いない」と思ったようだ。
そのため、少し成長してから麻布の桑原敏郎先生の音楽教室のオーデションを受けて
そこの教室へ毎週母に手を引かれ新橋駅前から都電で通った。
一番嬉しかったのは「声のために良いから」と、何でも好きな甘いお菓子を必ず
買ってくれたことだった。先生は幼児合唱団をつくり、それが評判になり
キングレコードの専属になった。今でもハッキリ覚えているのは、日比谷の
野外音楽堂へ出演したときは、日比谷公園を歩くと大勢の人がゾロゾロ付いてきた。
幼い子がお揃いの洋服で歩く姿は、どこでも人垣ができた。人気があった
ためか、ステージ体験も多く、外国まで紹介されたほどだった。
※「桑原豆歌手隊」私は右端
拍手には程遠いが、私の心の中では「エイジポジティブ」的なステージに
立っているのでは?と気づいた。地味で平坦でその先は死だけれど・・・
認知症歴満10年、余病がある夫を私は多分10年間以上は長生きさせたと思う。
滅多にできないと感じるのは「89歳と86歳の老夫婦が、毎晩共に晩酌をすること」
身体的にも最近夫は衰えていて、食事量が減っていてことに野菜を食べなくなり
何とか工夫をしているが、敵もさるもので手ごわいが、それもまたちょっと面白い。
でも、まだ一度も「今日は飲みたくない」と言ったことがないが、それも一つの
命のバロメーターではないかと思っている。
そして今・・・私は疲れやすくなり、物忘れも増えたが、でも元気でメンタルな
面ではビビッド能里子だし、アルコールも未だにかなり強い。
気持ちがいつも先行して行動も素早いのは、我ながら呆れるほどで、誰も拍手して
くれないが、そんなステージの主役だと思ったら、ちょっと楽しくなった。
残り少ない人生を有意義に、楽しくナーンテ思うのはかなり脳天気かも知れないが
誰にも迷惑をかけないように、これからも夫に寄り添って生きていきたい。