少女時代から電車の中で本を読むのが大好きでした。中学や高校時代
には、試験勉強は山手線を一周したことがよくあり、電車の揺れと大勢
の中の孤独とがマッチして、少女時代の私は電車の中が試験勉強をする
ための、ベストな場所でした。
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電車の中の読書は好きなので、いつも私は必ず本を持って乗ります。
先日も梅丘から下北沢までわずか3分、ある本を再読書していたら、とても
有意義で、思わずのめりこんで、何と一駅乗りこしてしまい驚きました。
それは曽野綾子著の「老いの才覚」でしたが、改めて読んでみたら、
「何故老人は才覚を失ってしまったのか」
「老いの力は自立と自律」
「人間は死ぬまで働かなくてはならない」
「孤独と付き合い、人生を面白がる力」など。
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現在の自分にとっても、実に示唆に富む言葉が多く大変感動しました。
そして今自分が生きている意味を、改めて考えたら「自分は高齢者だから」と、気づかずにかなり甘えていることに気づき、「もっと自立して生きなければならない」と、気持ちを引きしめました。これから私は何年生きるか分からないけれど、できたら死ぬ直前まで、「誰にも迷惑をかけずに自立して生きていたい」と思いました。そのためには今まで以上に、毎日自分を無理なく
鍛えなければなりません。
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現在でも同世代の人に比べたら、かなりアクティブに工夫したレッスンを
続けていて、そのためか、健康度は高いのです。
まして私は認知症の夫を介護しているので、子供達の負担にならにように、人一倍気配りをしなければなりません。「高齢だから誰かに助けてもらうのは当然」と、明らかに見えるような高齢者にならずに、できる限り自立して
生きたいと思ったのです。
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「本は二度読め」と昔から言われていますが、読書は本当に素晴らしいと
思いました。私も物書きの端くれですが、これからも自分なりに努力し
たいと思います。それにしても・・・自分が「ほんのわずかな時間に
その内容に集中できる」ことの素敵さ?でしたが、「私の感性はまだ
衰えていない」と、実はちょっと嬉しかったです。