どう考えても夫が先に逝くのは自然なので「あなたが先に死んだら、怖くないようにすぐ迎えに来てね」と頼んでいた。すると、「そんなことできるか
どうかわからないから約束できないよ」といつも言っていた。
亡くなる4日ほど前、意識が朦朧としはじめた頃、同じことを言って
「指切りね」と言ったら、固く指切りしてくれた。
でも、どう考えても健康老人なので、無理だと思うので、諦めている。
でも、ときどきどうしようもなく淋しくなるが、娘がほとんど毎日夕食に
来てくれるので随分助かっている。
料理好きなので毎日いろいろ工夫しつくったが、元気な頃は毎晩ビールを
飲みながら「美味しく食べられて幸せ」とよく言ってくれた。
ここまで書いたら涙が溢れた。でも夫は明るく元気でおっちょこちょいで
派手な私が好きだった。いつも何かに驚いたり、落としたりする度に悲鳴
を上げる私を、ニヤニヤしながら見ていた。
メソメソしているのはいけない、長年夫中心に生きて来て、出来るだけ
のことはすべてやったが、全く辛いとか、嫌だなどとは唯の一度も思わ
なかった。よく献身的に介護していると言われたが、まるで保護者のよう
だった位置が逆転したが、すぐに「有難う」と言って、素直で介護しやす
い人だった。
認知症のため子供のような夫と、方向音痴の私は旅行したり、お正月に
突然テレビを見て江の島へ行き、二人で生ビール3杯づつ飲んで橋を渡って
帰ってきたことも懐かしい思い出だ。神代植物公園、高尾山などいろいろな
ところへよく行ったが、いつも必ず二人で乾杯した。
また今年はコロナのため、久しぶり開催した、サントリーホールの
「ウイーン・ポルプスポパー交響楽団」ニューイヤーコンサートも行った。
夫は子供っポイ私を、ズーット見守ってくれるはず。
これからは明るく前向きに自分の人生を、有意義に楽しく生きて行こうと
思っている。