ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

何か良いことが起きそうな予感

2018-03-19 09:12:22 | エッセー
 ☆忙しかった一日だったけれど・・・
 5時に起きて全てのレッスンをこなし、夫のためお昼と夕食の準備をし、家を
出たのは7時55分。学会に到着は一時間後。本当に忙しかったが、それなりの
知識は得た。懇親会のときその会の前身「日本催眠医学研究会」の理事長で
日本一の医療催眠法と言われたM博士の話題になった。
 なかなか弟子入りを許してくれなかった、気難しい大先生なのに、私はまだ催眠法
を教えられなかったので、電話で「スタッフにご指導をお願いしたい」とお願いした。
 まさか大先生が出られると思わなかったのに、ドキドキしながら先生とお話した
のに、何故かそれだけで大変気に入られた私。さらに医学博士ばかりの常任理事
の先生方にも気に入られ、先生方全員に推薦され、お断りしたのに理事になり
その頃は古い会員達の話題の中心だったようだ。それなども魔女的要素の一つか
もしれない。でも昨日学会に参加して何か良い予感があった。
 ※医療催眠法セミナー講師になった私、先生が撮って額に入れて下さった。

 義理人情に人一倍厚く、誰にでもやさしく、明るくて無邪気で、人の悪口は
言わず、我儘だけどその気持ちを割合抑えているて、サッパリしている私は、好か
れなくてもあまり嫌われたことはなかった。それなのになぜこんなことが起きた
のだろう。
※梅が丘駅前にあったダンススタジオが我が家のビルに移転パーティ
 お祝いに来て下さったM博士

だろう?私はそんな時、座右の銘でもある言葉を、心の中でくり返す。
「悪いことばかり考えるのはエネルギーの縮小で、その解決策のため、想像力や
イマジネーションを使うこと」「宇宙はいつも自分を支え、成長させてくれる」
 「悲しいことや、腹が立つことが起きても、その中から感謝の種を探し、どんな
小さな進歩でも喜ぶようにする。すると必ず凄いことが起きる」
 でも先日はどうしてもコントロールできなかった!
「自分に起きたことは、全て必然で決して偶然ではない」と言う言葉もあるし
私は「もっと精神的な修行が必要」なのかも知れない。
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著書より「心のまっすぐな子に育つ本」

2018-03-17 07:13:19 | エッセー
 PHP研究所 2001年7月発行
 ◆思春期のわが家の子供達
 ☆先生の言うことより娘を信じた
 娘が中学2年のときですが、「お子さんの事で話がある」と、担任の先生に呼
ばれました。その先生がおっしゃるには、「お宅のお嬢さんは大変問題児で、いつも
何かあると先頭に立ち、みんなを誘導して校長室まで抗議に行く」と言うことでした。
 さらに、「来年は高校受験だけれど、こんな個性の強いお子さんはとても私立
高校は無理だと思うので、比較的開放的で自由な公立高校に進学した方がよい」と
話されたのです。私自身もかなり目立ちたがりのうえ個性的な中学生でしたので
先生の話しにはまったく動じませんでした。そして私はこう言ったのです。

 「先生にはご心配やご迷惑をかけて大変申し訳ありません。実は母親の私も娘と
お同じように(ただし校長室など押しかけたことなどありませんが)とても個性的
でしたので、あまり心配は致しません。娘が校長室に押しかけたとおっしゃいますが
多分それなりの事情があったに違いありません。何故なら彼女はとても正義感の
強い性格ですから、私は娘を信じております。それから進学のことですが、高校は
娘の学力に応じて本人の希望した学校に進学させるつもりです」先生は私の答えに
大変驚いたようでした。こんなとき多くの母親は仰天し、とても心配するのかも知
れませんが。私は先生の意見より、自分の娘の方が正しいと判断できたのです。
 あまり動じない私に呆れたのか、驚いたのか分かりませんが、憮然としている先生
でした。家に帰ると、娘が玄関でとても心配そうな顔で待っていました。

 そして「先生に何か言われたの?」と、聞いてきたのですが、私は余計なことは
一切言わずに「進学の相談だけよ」と明るく答えました。
 もしも先生に言われたことのすべてを話したら、人一倍感受性の強い娘がとても
傷つくのことが、私にはハッキリ分かっていたからです。ホットしたような表情に
戻った彼女ですが、何かは感じていたようです。大学生になったある日ですが
昔の思い出していた会話から、そのときのことを「あの時先生から言われたはず
なのに、ママは一言も叱らなかった。でもそれがすごく有難かった」と言い、娘は
改めて「ママ有難う」と言ってくれたのです。私が言わなくても、先生に呼びつけ
られた理由は自分でもはっきり分かっていたのでしょう。
◆ 息子の受験
 息子は大学付属の高校を受験したのですが、その日の出来事で私は忘れられない
ことがありました。私が仕事で外出して帰ると、いつもは明るく元気な息子が
顔色も悪くボンヤリしてリビングの椅子で座っているではありませか。
 ビックリした私は「これは多分試験の結果があまり良くなかったのだ」と
ピンときましたが、やはりそうでした。「あのね、ママ今日の試験あまりよく
できなかったの」と言うではありませんか。大学の付属であるその高校が本命
でしたので、内心ガッカリしたのですが、そのことはおくびにも出さず、青い顔を
している息子にわざと明るくこう言ったのです。「大丈夫よ。まだ00高校も00
高校もあるじゃやない。元気出して!」と。すると息子あは急に元気になり、「そう
考えればそうだよねママ、だって高校は一つだけじゃないもの、僕お腹すいちゃった」
と部屋を出ていき、自分の部屋からお弁当を持ってきて食べ始めたのです。

 それは食べざかりの息子のために、私が朝早く起きて大好きなものばかりつめた
特製のお弁当でした。きっと試験が思い通りにできなくて、胸がイッパイになり
可哀想に食べられなかったのでしょう。ほとんど手をつけていないお弁当を、美味し
そうにパクパク食べている息子を見たら、こんな大きな体をしていても、精神的には
母親を頼っているのだと、息子の大きな背中を見ながら、そんな息子が愛しくて涙が
こぼれたのを、一生忘れることはないでしょう。なぜならその日は父親も姉も家に
いたのですから、やはり子供にとっては母親は精神的な支えであることを痛感したの
です。もしもあの時私が「本命の高校なのに、どうしてもっと頑張れなかったの」
などと言ったら、彼はますます落ち込んだのに違いありません。
 そんな時の母親の労わりや、励ましの言葉が、落ち込んでいる子供にとってどん
なに重要であるかを実際に体験し「成人するまでメンタルな(精神的)な意味では
子育ては終わらないのだ」と強く感じました。母子で心配した受験は成功し、無事
に本命の高校に息子は合格できたのです。
 
注 PHP研究所の京都から執筆依頼に来た編集者は、その依頼内容は人間関係
とか、ストレスなどの方向性でいた。それが私と色々話しているうち方向転換して
子育ての本と内容が変更した。子育て時代の20代30代は、まだ心理カウンセラー
ではなかったが、内容は私のユニークな幼児期から思春期までの子育ての実体験
を書いたものだ。今気づいたが、子供達が思春期の頃には、すでにかなり心理学
を学習していたので、多分このように対応できたのだと思った。
 その一部を読んで頂けば、私が子供達をどのように育てたかを、きっとご
理解頂けると思うので、前々日の投稿記事をもう一度読んで頂きたいと思っている。
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魔女年生まれの私が感じる人生100歳時代 5

2018-03-16 11:08:36 | エッセー
 年齢を重ねると、体力がなくなる、意欲がなくなる、見た目が悪くなる、保守的
になる、頑固で融通性がなくなる、色々病気が出てくる、などなど。
 ネガティブな事ばかり強調されるが、それは若い世代から見たり、感じたりした
実状で、自分がその年齢にならなければ分からないことが沢山ある。
 友人達に聞いて良い面を数えてみると・・・
 1 時間が自由に使える
 2 働かなくても良い
 3 責任がなくなる。
 4 経済的にも余裕が出てくる。
 5 信頼感がある。
  6 人のお役に立てること。
 7 過去にガンバって来たので、楽しい老後が送れる。
 8 好きな事を好きなだけ楽しめる。
 9 地域の人と分け隔てなく付き合える。
 10  他人と比べて若さを実感できる。など・・・
 高齢者もそれぞれ考え方や、価値感の違いはあるが、長生きする時代を最後まで
自立して生きたいと思う人と、そうでない人との差は大変大きいようだ。
 長生きする時代は具合が悪いと、すぐに治療する、つまり医療に頼るだけでは
絶対に自立した老後は生きられないと思う。

 
※ 治療を受けずに近年のことだが、運動で「坐骨神経痛」「膝痛」を治し
   努力は必要だったが、「やればできることもあるのだ」と実感した自分の
   実体験から言えることだが。
    

 若さはキラキラして美しく、またエネルギッシュだが、私は決して羨ましいとは
思わない。何故なら誰でも例外なく、老人になるのは決まっているから。
 私の願望は生きている限り元気で、出来れば指導者として死ぬまで現役でいたいし
まだ興味があることを学んでいたと思う。そして、介護を受けず友人達を沢山持って
人生を楽しく生きていたい。ぼんやり、何となく、気づいたら・・・
 私はそんな時間の使い方はとてもできない。「怠惰に生きるなら死んだ方がまし」
の価値観だが、でも、それは自分が元気で自由に動き回れるからこそなのだろう。


 元気な老年期を迎えられるのは、50歳前後から、自分の生活を見なおさなければ
ならない。その年齢になっても、まったく若い頃と同じ生活をしていたら、長生き
はできないし、たとえ長生きしても色々な病気に、多分襲われることだろう。
 もしも100歳まで生きるとしたら、「前半と後半とをきちんと線引きして暮ら
すべき」は、誰より元気な小池能里子がハッキリ言える事実だ。
 私は死ぬまで自分の足で歩きたいし、身の回りのことはすべて出来る自立状態
なら長生きしても良い。でも、介護されながら生きるのなら、すぐにでも死んで
しまいとさえ思っている。

 
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怒りの暴走を抑えながら 成年後見制度にご用心!

2018-03-14 05:36:29 | エッセー
 我が家の家族関係は良好だったのは、幼い頃は厳しくしつけたが、ある年齢に
達してから私達両親は、干渉しない、小言言わない、お説教は全くしない、気前
が良い、子供達に頼まれたら、決してノウとは言わない、長年接してきたからだ。
 ところが、夫が認知症になって子ども達から「成年後見制度」進められ、知識が
ないのに、娘が後見人になると言われ、「子供達が言うのだから良い事なのだろう」、
と安易に承諾した。そのため渡された書類の内容も確認せず、愚かな私は署名し
捺印した。それから二年程した昨年の今ごろ、想定外の事件が起きた。
 それは何の脈絡もなく、私達には一言の断りもなく、行われたことに私は激奴し
たが、そんな重大なことを言わなかった、と言うよりホンネでは言えなかったのだ。
 
 私が「これから娘と絶対口論するのは止めよう」と思ったのは、娘がまだ小学
5年生だった。昔のことでその原因は忘れたが、そのときの娘のあまりにすさま
じい剣幕に、私は大変傷ついた。それ以来たったの一度も口論らしい口論はした
ことがなく、娘からは「親子なんだから喧嘩しようよ」と言われたこともある。
 私はハキハキしているが、あまり気が強い方ではなく、弁が立つ息子や、気の
強い娘とは、とても太刀打ちできないのは分かっているからだ。
 喧嘩は大嫌いで、恐ろしいし、元々攻撃的ではないので「怒鳴るなら自分がガマン
した方がずっと良い」と思う性格のためでもある。そのため、子供の頃から、喧嘩
した記憶はほとんどない。
 
 私は何とか「成年後見人制度」を解除したいと色々調べ、家庭裁判所や
法務局に通い、また他人の紹介、ネットで調べ弁護士さん達にも5人会った。
 結局諦めたのは、一度決めるとその解除は大変難しいと知ると同時に、その
エネルギーや、体力は自分にはないと諦めたからだ。
 いくら諦めが良い私でも、生活に関わる重要な事で、とても割りきれない。
さらに、ときどきこみ上げてくる怒りを、抑えるのは至難の業だった。
 「怒りは心身に最も悪いのは熟知しているし、プロとしてコントロールできない
のは修業が足りない、まして夫の介護もできなくなる。それに私は大変恵まれて
いて幸せな方だ」などと自分をなだめ、ようやく諦観できたのに・・・
 ところがまた最近以前より小さいが、また同じようなことが起き、その怒りが
暴走して、私はある事件を起こした。でもとても解消できずに、毎日眠れない日
が続いている。これをどう解決すべきかと考えているが、でも、色々聞いてみると、ケースは違っても、親子関係のこじれは身の回りでも案外多いことに、気づかされ
たことも事実だ。
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「シニア女性限定小人数クラス」入り口に小さな看板付けました!

2018-03-13 05:56:16 | エッセー
 急に思いついたが、スタジオを貸してしまったため、カウンセリングルームを
改造して始めることにした。心身両面の指導者だけではなく、自分の年齢を叩き台
にして、色々考え工夫し、それらを実践したら、何と20年前より現在の方がずっと
体調が良い私。見た目もかなり若いと思うし、私の実年齢を知ると、ほとんどの人が
驚く。それは美しくないけれど、若々しく元気だからだ。
 ごく最近近所の同年齢の奥さん方に偶然会ったが、二人共杖をついていた。
立ち話した一人は、「足が悪くてあまり歩けないし、体中病気だらけで毎日薬を沢山
飲んでいるし、肩はこるし、腰はいたいし、どうしてあなたはそんなに元気なの?」
と驚かれた。

 運動で坐骨神経痛を治してから1年半、ダンスで傷めた膝で苦しんだ20年以上
前が,まるでウソのように膝は全く痛くないが、これも無論運動で治した。
 同世代と、それより若い友人達が誰もできなかったスキップだって軽々できる。
その他「シワやタルミをなくしフェースライン、デコルテラインをキレイにする」
「声の若さを保つ」「美しい姿勢と若々しい歩き方」など。美容法、健康法、気持の
若さを保つ、セルフコントロール法、リラクゼーションまで、「これほどオールマイ
ティに指導できる人はいないはず」少々おこがましいが私は断言できる。
 82歳の私がほとんどシワがないのも、人工的ではなくテクニックです。
これは決して自慢ではなく、友人や知人達も認めている事実ですから。
 看板は編集者のアドバイスで文面を作ったが、ごく最近またスゴーイストレスが
あったのに、それにもめげずに、こんなに心身共元気で若々しくいられる、その
ハウツウをお伝えしたいのです。1回でも参加できますし、ご要望に応じてご指導
いたします。ホームページ見て下さいね。

追記 79歳のとき、36歳年下のカッコいい方から、二度も結婚したい
(申し込まれた訳ではありませんが)二回とも証人いる事実です。
 他にもまだ二人ほど存在しています。不細工でデブ、老妻の私がですよ。
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