ネパールの孤児院が柔道場を建てたが、畳がないので送ろうと思い行っている畳100運動。
現状を報告すると、まだ畳は集まっていません。ブログを見てくれて、周囲に聞いたりしてくれている人がいてめちゃくちゃ嬉しいですが、畳となるとなかなか難しいようです。
って柔道という武道自体が、甘いものではないので百も承知ですが、なんとか行動しつつ考えて集めていきたいと思います。性格がらうまくいかない時の方が燃えてきます!!そう簡単にいかないからこそ、多くの人とのつながりと協力でできると思っています。
2012年より中学校で武道が必修化されるので、どこかの中学校でまだ畳を換えるところがあれば教えてください。連絡先weed-soul5669@yahoo.co.jp(山口)
そして、子供用等の柔道着も募集もまだまだ受け付けています。現在は、フラスター株式会社の風見社長の協力もあり、こちらに送っていただけると嬉しいです。http://ameblo.jp/p-sukoyaka/現在までに約100着以上送っています。女子柔道の世界選手権銀メダリストの中澤選手や世界選手権金メダルの福見選手なども協力してくれています。本当に皆さんに感謝です。
最近、なぜそのような活動をしているのですか?という質問を受けました。
それは、したいからしているだけです。
厳密にいうと、私は世界の旅を通して物事の考え方が169度くらい変わりました。正直にいうと、柔道も実はそんなに好きではありませんでした。高校までは勝つのが当たり前で、高校に無料で行くための方法と捉えていました。大学に入っても勝利至上主義は抜け切れず、表面的には自発的には行っているものの、実際は勝つために行っていました。もちろん、勝つことをモチベーションに行うことはいいことだと思います。しかし、大学の時にはなぜ柔道をするのかよくわかっていませんでした。そんなメンタル状況でも追い込みながら、練習をしていたために大学3年の終わりには、オーバートレーニングから肺炎を発病して41・5度の熱が出て、喘息を引き起こし、うつ状態が約2か月くらい続きました。就職活動も全敗して、色々考えた末に(省略)就職をしないでアルバイト生活をしながら世界に旅出ちました。
そんな何もない状況でもなぜか私がリュックに入れていたものが柔道着でした。旅先では、どこかで柔道着を着て、練習をしたりしていました。
そのおかげで、見ず知らずの国の人とも仲良くなれて、円滑なコミュニケーションが取れました。5歳からやっていた柔道で、初めて勝つこと以外に視野が広がった瞬間でした。
旅をして、7カ国目のネパールで、約30~40人の子供たちに柔道を熱心に教えている一人の先生がいました。週に5回、毎朝7時~9時まで給料など出るはずもなく、孤児院の子供たちに柔道を教えているのがダルマ先生でした。なぜ、柔道を教えているのか?聞くと、「孤児院の子供たちに思いやりや礼儀を教えるのは柔道が一番いいから」とダルマ先生は答えました。私は、一人の日本人として、一人の柔道家として、目頭が熱くなりました。そして、自分で1年分の給料を支払い、日本の講道館に柔道を学びにくるダルマ先生の姿を見て、この人は本気だと思いました。本気には、本気で応えたい!!だから、私はできる限りのことをします。
このような活動は、
誰かがやってくれたらなぁ~
資金があればなぁ~
という想いではうまくいかないということも言われました。必要なのは、
思い立った人が行動する
ことなのです。
私は、海外の土地で本当に人生にとって何が大切なのかを教えてもらいました。生きていることの喜び、電気があること、服が着れること、好きな本を読めること、職業が自由なこと、水が飲めること・・・数え上げたらきりがありません。
話が長くなり、この文章だけでは伝えきれませんが、言いたいことは、
富んでいる者にご馳走になったら、最大限感謝しろ!!
そうでない者にご馳走になったら、最大限恩返しをしろ!!
そのためには、
皆の協力が必要
です。
ネパールで練習後に毎回ご馳走になった朝食。中には仕事がなくなってしまってお金もないのに自分のを我慢してご馳走してくれた方もいました。とにかく、小さなことかもしれないけど、できることからやりたいと思います。
最後に、実はもう一つの計画を練っています。それは、ネパールの柔道家ダルマ先生を日本に呼ぶこと。先日、海外の外国人招致に詳しい行政書士の方に相談に行きましたが、難しいとのことでした!!
やったー!!これからが本気になる時です。
やればできる
諦めなければ!!
海外で出会った人々が教えてくれた言葉が背中を押してくれます!!