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憲法改正論議2

2007-05-09 13:05:00 | 時評
こんなことを書くと護憲派から叱られそうですが、憲法改正が9条に自衛隊を明記するだけにとどまるならさほど大きな問題ではないようにも思います。これだけで日本がとんでもない国になるなら、アメリカやフランスはとんでもない国なのかと突っ込みを入れたくなります。
私が一番懸念するのは、現在の改憲派の本音が、「私」と「公」、個人と国家の関係を大きくいじろうとしているように思われることです。9条改正に成功すれば次の課題はこれでしょう。
日本国憲法を初め西欧諸国の憲法は、「公」は「私」を守ることのみに存在意義があると考えます。公権力の行使は、個人の尊重に仕えるときにのみ正統性をもつ、ちょうどわが国の戦前の滅私奉公と逆の考え方です。これを持ち出せば反発が強まりそうなので、今回は基本的に9条に絞ったようですが、本音も見え隠れしています。
現在の憲法は人権が「公共の福祉」によって制限される場合があることを定めていますが、これを「公益及び公の秩序」に変更しようというのです。「公共の福祉」はたしかに素人には分かりにくいですが、判例や学説においては、他人の人権との調整や具体的な害悪の防止をいうと確立しています。具体例を挙げれば、表現の自由は大切だけど名誉毀損は規制できるよ、職業を選ぶことは自由だけど医師になるには国家資格が必要だよ、ということです。「公益及び公の秩序」では、明らかにその範囲が広がり人権がはっきりしない理由で制約される可能性が高まります。
私たちが、税金を払ったり政府の様々な規制に従っているのは、嫌だけど処罰されるからでしょうか。それでは政治の正統性はなく、ただ強制されて嫌々ということになります。そうではなく、政治が私たちの幸せや人権に役立つと実感できて初めて公権力の行使は正統性を保てるのではないでしょうか。現在の憲法の基本的な価値、国家は個人のためにのみ存在意義がある、これが変えられることを私はおそれます。
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