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昭和天皇の戦争責任

2024-08-10 17:11:40 | 時評

今から36年前、1988年晩秋から翌1989年初にかけて、日本は死にそうな昭和天皇の病状報道(下血が何㏄だの)で連日どんより。前の職場にいた私も、大正天皇が死にそうだったときの日本はどうだったか調べてと依頼受けて、大昔の新聞にあたりました。

そんななか、年明け4月から仕事をすることになる静岡市で、その後同僚となる大学教員や弁護士たちが、県の福祉会館で「昭和天皇の戦争責任を考える」集会を開こうとしたところ、当時の静岡県知事が、死の床にある昭和天皇を鞭打つ集会を県の施設で開催することはまかりならんと。

こんな理由で公共施設の使用拒否が認められるはずはなく、静岡地裁・東京高裁で県は敗訴しました。表現の自由を保障する憲法21条から、集会の目的や内容で区別するのは、当然アウトです。

さて本題の昭和天皇の戦争責任。あれだけのことをやって最高責任者が責任を問われないのは……と思っていましたが、8日の朝日新聞オピニオン&フォーラムの山田朗先生(明治大学)のインタビューがgood!

山田先生は、当時の記録を丹念に調べて、天皇は大本営御前会議で活発に発言、たとえば「1945年の沖縄戦では『現地軍は何故攻勢に出ぬか』と言って、積極的な攻撃に出るよう要求」したそう。

まとめとして「陸軍が戦争の牽引者だったことは事実です。しかし昭和天皇はブレーキの壊れたジェットコースターの単なる乗客ではなく、操縦する側でした」

7月8日の朝日新聞夕刊、戦艦大和の洋上特攻(沖縄に向かう途中で沈められ3,000人もの死者)が天皇への忖度からか?という記事で、忖度させた天皇じゃなく忖度した軍人が悪いという書き方になっていて(>_<)(朝日新聞は、いわゆるモリカケ疑惑で、忖度させた安倍元首相を散々批判したでしょう)

朝日新聞は昭和天皇を贔屓するのかと憤りましたが、今回の山田先生インタビューは良かったです。


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