森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

老人はなぜ悲しげなのか

2007-05-25 | 思い・つれづれ
子供の頃、大人たちがみんな立派に見えた。
でも、自分が大人になってしまえば
そんな人ばかりではないことを知ってしまう。

自分の欲望のために悪事をはたらく人。
自分に利益をもたらしてくれる人に媚びる人。
力で弱い者をねじ伏せる人。
平気で嘘をつく人。
或いは善人であるかのように見えても
自分を守るために「黙る」人。

以前、新聞の大江健三郎氏のエッセーの中に
「老人はなぜ悲しげなのか」というタイトルのものがあった。
その中の一文に、胸を突かれる思いがした。
一様に老人の顔が「悲しげ」に見えることに対する
彼の見出した答えは、「未来への未練」

それは返らぬ過去への未練ではなく
「将来こういうことをやりたい、逆にこういうことが
起ってはならない、起りそうなら体を張ってでも
とどめたい、と考えている。それが、やりたいことは
できず、起ってはならないことが起りつつある。
その将来が、無念でならない。」
という思いからの悲しみなのだとあった。


老人になるまでもう少し時間があるけど、
要職にあるあらゆる人の起こす様々な不祥事や
地球規模の自然破壊が進む中、それらを知るにつけ
近頃はこんなちっぽけで脳天気な私でさえ、
多分きっと、悲しい顔をしているんだろうな。

昨晩、近所のアパートに猫と暮らすおばあさんと
昼間殆どその家の猫が過ごす我が家のベランダでの様子を
会話する機会があったので、つい未来の自分と重ねて考えてしまった;
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