森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

楽しみな講義

2009-12-10 | 絵・アート
いつも訪問させていただく吉岡さんのブログで、
2日前に「マイケル・ジャクソン学」が始まるという
告知があった。

少し前から「よりマイケルの真意に近い訳」の求めに応じて
出ていた訳詞集の話は、大人の事情で出版が頓挫しているらしく、
「紙媒体で出せないならネットで」と、マイケル・ジャクソン学の
一環として、この度、お金にならない形のマイケルの遺した言葉という
ブログを立ち上げてくださった方がいるとのこと。

大西さんとおっしゃるその方の解釈を、早速読ませていただいた。
Heal The World 冒頭の、子供のナレーション部分。
the generations という言葉から、お父さんやお母さん
お爺ちゃんやお婆ちゃんという訳まで出てくるところで
「ああ、こんな風に訳して欲しかった!」とすでに感動・・。

まだ全てを読ませていただいてないけど、少しずつ噛み
しめるように理解していきたいと思う。

マイケルを知る上で最も重要なのは、彼のメッセージが
込められた歌詞だということは、こちらでも何度も言った
ことだけど、ファンは皆同じように思っていると以前は信じていた。

けれど、大西さんが始めに「我々は彼の素晴らしい歌やダンスに
目を奪われ、彼が本当に伝えようとしていたメッセージを
強く意識することがなく、ただ楽しんでいただけのような気がします。」
と仰っているように、そうではない人が圧倒的に多かったということを、
これまでに起こった様々なファン間での論争で徐々に知ることに。

一般の人たちは「今回の映画によって(中略)初めて彼からのメッセージ
が前面に浮き出たように感じた。」のが、事実だろう。

英語については(も)、全く偉そうなことを語れない私だけど
彼の詞に多いとされるダブルミーニングについては、いつも
曲が出るたびに、時には辞書を片手に友人と想像を膨らませて
ああでなくこうではないかと楽しんできたので、大西さんが
この事にも沢山触れて下さっているのは、本当に嬉しい。

意味を曲解され、いわれのない非難をされた時には、
声明を出して彼が意図したことを話すということもあったけど、
殆どの場合、マイケル自身は、聴き手が受け取りたいように
解釈してくれて構わないと言っていた。

また、比喩も多いのでそれが逆に解釈を決め付けられなくして、
難解にしてしまうことも。

歌詞に限らず自分自身についても、彼は基本、相手の思いたい
ように思ってくれて構わないという姿勢でいた。
だからバシールの「あなたはゲイですか?」という質問にも
「その質問には答えたくない」と答えたのだ。

マイケルがその直後に「でもそのカメラをオフにしてくれたら、
その質問に答えるよ。」と言い、「いや、違う。絶対に。
僕はゲイじゃない。でも僕には何百万人ものゲイのファンがいる。
彼らが僕をゲイだと信じているなら、ゲイだと信じさせておけば
いいんだよ。」と続けたことは、もちろんカットされたが、
バシールはそれをわざわざ、疑わしく見せるように編集しオンエア
した。こちら参照

「僕は気にしない。誰かの気持ちを害したくないんだ。」
と言った言葉も全てカット。

このようなことが、彼をミステリアスに見せていたかもしれないが、
そのことで肌の病気のことにしろ、多くの誤解を招き、非難を受け
てしまう結果に繋がったかもしれないと思うと、堪らない気持ちに
なる。

亡くなったことで、図らずも沢山の有志たちが、英語が得意ではない
私たちのために、こうやって善意の輪を広げてくださることに感謝します。


大昔の下手な絵で恥ずかしいけど、この表情が好きで(笑)
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