森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

「悪魔のように踊り、天使のように歌う」マイケル

2010-04-01 | マイケル・ジャクソン
タイトルの言葉を誰が言ったのかは憶えていないけれど、
大昔、「アーティストとしてのマイケル・ジャクソン」を
アメリカの新聞が表現した言葉だ。

もちろんマイケルを知る人の殆どは、彼そのものの性格が
「悪魔的」なものとは対極にあることを分かっている。
この場合の「悪魔」とは恐らく、一度目にしたら逃れられないほど
「魅惑的」だという意味だろう。

彼が一旦踊り始めると、間違いなくその魅力の虜になるのは、
「悪魔に魅入られたような感覚」と表現した方が、ぴったりくる。

悪魔と言えば、2000年代に入って●ニーのトミー・モトーラを
悪魔に見立て角を描いたプラカードを、ファンから手渡されたマイケルが、
それをバスの上で掲げた画像が、出回ったことがある。

当時、マイケルが大きな集会を開いてまで訴えてきたことは、
ファンの中にも疑問視する人が多く、中には集会のために現れるマイケルを、
イギリスやアメリカまで追っかけながらも、その言い分自体には批判的で
「対岸の火事」とまで言い切った人もいた。

けれども、フリーメイソン関係の本が書店にたくさん並ぶような今では、
マイケルのファンサイトでも、「マイケルは既にあの当時から、
このような組織と戦っていたのでは?」という内容のスレッドが立っている。

あの忌まわしい6月の出来事から一ヶ月くらい後には、
これまでタブー視されていた「ある組織が企てた陰謀によって
マイケルは殺された」という噂が、ファンの間に広がっていた。

私たちはあの裁判の最中にも、様々な不条理と不公平さに
一地方検事や判事の権限を越えた、「不気味な力」を感じていた。
重要な証言が全て取り上げられず、反対に相手方の辻褄の合わない証言が
同情的に真実であるかのように報道されることに憤っていた。

今日拝読した、こちらのブログで取り上げてくれている裁判初めのラリー・キングの
重要証言についても、当時USレポートでいち早く知り、心底腹立たしかったことを
憶えている。

当時のスケトウダラ(ラリー・フェルドマン悪徳弁護士を、93年事件から
仲間内ではこう呼んでいた;)が、ラリー・キングに漏らしたことがらは
事件の核心に触れる重要な内容だった。にも拘らず、判事が陪審員の前で
キングに証言させなかったことについて、こちら「マイケルのココロ--
FOREVERLAND」さんが分かりやすく説明してくれているので、興味のある方は
ぜひご覧になって欲しい。

ラリー・キングは、長い間報道ライブのホストを勤める、ある意味公的立場の人
だけれど、番組での彼からはいつも、相手から核心に触れる事柄を引き
出したいという強い意図を感じられ、視聴率稼ぎのために大衆の好奇心に
阿るというアリがちなワイドショー的スタンスとは、少し異なる立場をとっている。

時には相手に釈明させる機会を与えてやりたかったり、自分が知っている
事実を相手の言葉で引き出し、視聴者に判断させようとするスタイル。

例えば不可思議なクリス・ブラウンの、リアーナへの暴行事件で、
保護観察処分になったクリスがゲストだった日。

クリスがそれまで品行方正であったことを、正直そうな彼の母親に話させ、
その母親の所に何故か事件後もリアーナが通っていることを明らかにした上で、
「なぜあの日、そのような事態になったのか」という質問をした。

クリスが事件について当初無実を主張した後、一転して罪を認め謝罪したにも関わらず、
「全くその出来事を憶えていない」という証言を引き出すためだったと思う。
あいにくその日の番組では、クリスは心機一転頑張ることを伝えるために 
出てきたようで、けんかの理由も語らず終始謝るばかり。
ラリー・キングは最後まで、この不自然な一連の出来事に納得できない様子だった。

クリスはいわずと知れたマイケルの信奉者だ。
いつも謙虚で好ましい青年だったし、こちらで昔リンクした曲を聴いても
明らかなその才能は、どんな人も認めざるを得ない。

なのにあの事件以来、彼は口を閉ざして真相を語らないし、メディアにも
余り露出せず、マイケルの葬儀でも会場の隅にぽつんといたらしい。
逆にリアーナは以前より強かに振舞い、実力以上の賞も沢山受賞した。
マイケルの大ヒット曲を作ったR・ケリーの逮捕劇も記憶に新しい。

一体、彼らは何と引き換えに?という疑問が、私の中で頭をもたげる。
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