タイトルの言葉を誰が言ったのかは憶えていないけれど、
大昔、「アーティストとしてのマイケル・ジャクソン」を
アメリカの新聞が表現した言葉だ。
もちろんマイケルを知る人の殆どは、彼そのものの性格が
「悪魔的」なものとは対極にあることを分かっている。
この場合の「悪魔」とは恐らく、一度目にしたら逃れられないほど
「魅惑的」だという意味だろう。
彼が一旦踊り始めると、間違いなくその魅力の虜になるのは、
「悪魔に魅入られたような感覚」と表現した方が、ぴったりくる。
悪魔と言えば、2000年代に入って●ニーのトミー・モトーラを
悪魔に見立て角を描いたプラカードを、ファンから手渡されたマイケルが、
それをバスの上で掲げた画像が、出回ったことがある。
当時、マイケルが大きな集会を開いてまで訴えてきたことは、
ファンの中にも疑問視する人が多く、中には集会のために現れるマイケルを、
イギリスやアメリカまで追っかけながらも、その言い分自体には批判的で
「対岸の火事」とまで言い切った人もいた。
けれども、フリーメイソン関係の本が書店にたくさん並ぶような今では、
マイケルのファンサイトでも、「マイケルは既にあの当時から、
このような組織と戦っていたのでは?」という内容のスレッドが立っている。
あの忌まわしい6月の出来事から一ヶ月くらい後には、
これまでタブー視されていた「ある組織が企てた陰謀によって
マイケルは殺された」という噂が、ファンの間に広がっていた。
私たちはあの裁判の最中にも、様々な不条理と不公平さに
一地方検事や判事の権限を越えた、「不気味な力」を感じていた。
重要な証言が全て取り上げられず、反対に相手方の辻褄の合わない証言が
同情的に真実であるかのように報道されることに憤っていた。
今日拝読した、こちらのブログで取り上げてくれている裁判初めのラリー・キングの
重要証言についても、当時USレポートでいち早く知り、心底腹立たしかったことを
憶えている。
当時のスケトウダラ(ラリー・フェルドマン悪徳弁護士を、93年事件から
仲間内ではこう呼んでいた;)が、ラリー・キングに漏らしたことがらは
事件の核心に触れる重要な内容だった。にも拘らず、判事が陪審員の前で
キングに証言させなかったことについて、こちら「マイケルのココロ--
FOREVERLAND」さんが分かりやすく説明してくれているので、興味のある方は
ぜひご覧になって欲しい。
ラリー・キングは、長い間報道ライブのホストを勤める、ある意味公的立場の人
だけれど、番組での彼からはいつも、相手から核心に触れる事柄を引き
出したいという強い意図を感じられ、視聴率稼ぎのために大衆の好奇心に
阿るというアリがちなワイドショー的スタンスとは、少し異なる立場をとっている。
時には相手に釈明させる機会を与えてやりたかったり、自分が知っている
事実を相手の言葉で引き出し、視聴者に判断させようとするスタイル。
例えば不可思議なクリス・ブラウンの、リアーナへの暴行事件で、
保護観察処分になったクリスがゲストだった日。
クリスがそれまで品行方正であったことを、正直そうな彼の母親に話させ、
その母親の所に何故か事件後もリアーナが通っていることを明らかにした上で、
「なぜあの日、そのような事態になったのか」という質問をした。
クリスが事件について当初無実を主張した後、一転して罪を認め謝罪したにも関わらず、
「全くその出来事を憶えていない」という証言を引き出すためだったと思う。
あいにくその日の番組では、クリスは心機一転頑張ることを伝えるために
出てきたようで、けんかの理由も語らず終始謝るばかり。
ラリー・キングは最後まで、この不自然な一連の出来事に納得できない様子だった。
クリスはいわずと知れたマイケルの信奉者だ。
いつも謙虚で好ましい青年だったし、こちらで昔リンクした曲を聴いても
明らかなその才能は、どんな人も認めざるを得ない。
なのにあの事件以来、彼は口を閉ざして真相を語らないし、メディアにも
余り露出せず、マイケルの葬儀でも会場の隅にぽつんといたらしい。
逆にリアーナは以前より強かに振舞い、実力以上の賞も沢山受賞した。
マイケルの大ヒット曲を作ったR・ケリーの逮捕劇も記憶に新しい。
一体、彼らは何と引き換えに?という疑問が、私の中で頭をもたげる。
大昔、「アーティストとしてのマイケル・ジャクソン」を
アメリカの新聞が表現した言葉だ。
もちろんマイケルを知る人の殆どは、彼そのものの性格が
「悪魔的」なものとは対極にあることを分かっている。
この場合の「悪魔」とは恐らく、一度目にしたら逃れられないほど
「魅惑的」だという意味だろう。
彼が一旦踊り始めると、間違いなくその魅力の虜になるのは、
「悪魔に魅入られたような感覚」と表現した方が、ぴったりくる。
悪魔と言えば、2000年代に入って●ニーのトミー・モトーラを
悪魔に見立て角を描いたプラカードを、ファンから手渡されたマイケルが、
それをバスの上で掲げた画像が、出回ったことがある。
当時、マイケルが大きな集会を開いてまで訴えてきたことは、
ファンの中にも疑問視する人が多く、中には集会のために現れるマイケルを、
イギリスやアメリカまで追っかけながらも、その言い分自体には批判的で
「対岸の火事」とまで言い切った人もいた。
けれども、フリーメイソン関係の本が書店にたくさん並ぶような今では、
マイケルのファンサイトでも、「マイケルは既にあの当時から、
このような組織と戦っていたのでは?」という内容のスレッドが立っている。
あの忌まわしい6月の出来事から一ヶ月くらい後には、
これまでタブー視されていた「ある組織が企てた陰謀によって
マイケルは殺された」という噂が、ファンの間に広がっていた。
私たちはあの裁判の最中にも、様々な不条理と不公平さに
一地方検事や判事の権限を越えた、「不気味な力」を感じていた。
重要な証言が全て取り上げられず、反対に相手方の辻褄の合わない証言が
同情的に真実であるかのように報道されることに憤っていた。
今日拝読した、こちらのブログで取り上げてくれている裁判初めのラリー・キングの
重要証言についても、当時USレポートでいち早く知り、心底腹立たしかったことを
憶えている。
当時のスケトウダラ(ラリー・フェルドマン悪徳弁護士を、93年事件から
仲間内ではこう呼んでいた;)が、ラリー・キングに漏らしたことがらは
事件の核心に触れる重要な内容だった。にも拘らず、判事が陪審員の前で
キングに証言させなかったことについて、こちら「マイケルのココロ--
FOREVERLAND」さんが分かりやすく説明してくれているので、興味のある方は
ぜひご覧になって欲しい。
ラリー・キングは、長い間報道ライブのホストを勤める、ある意味公的立場の人
だけれど、番組での彼からはいつも、相手から核心に触れる事柄を引き
出したいという強い意図を感じられ、視聴率稼ぎのために大衆の好奇心に
阿るというアリがちなワイドショー的スタンスとは、少し異なる立場をとっている。
時には相手に釈明させる機会を与えてやりたかったり、自分が知っている
事実を相手の言葉で引き出し、視聴者に判断させようとするスタイル。
例えば不可思議なクリス・ブラウンの、リアーナへの暴行事件で、
保護観察処分になったクリスがゲストだった日。
クリスがそれまで品行方正であったことを、正直そうな彼の母親に話させ、
その母親の所に何故か事件後もリアーナが通っていることを明らかにした上で、
「なぜあの日、そのような事態になったのか」という質問をした。
クリスが事件について当初無実を主張した後、一転して罪を認め謝罪したにも関わらず、
「全くその出来事を憶えていない」という証言を引き出すためだったと思う。
あいにくその日の番組では、クリスは心機一転頑張ることを伝えるために
出てきたようで、けんかの理由も語らず終始謝るばかり。
ラリー・キングは最後まで、この不自然な一連の出来事に納得できない様子だった。
クリスはいわずと知れたマイケルの信奉者だ。
いつも謙虚で好ましい青年だったし、こちらで昔リンクした曲を聴いても
明らかなその才能は、どんな人も認めざるを得ない。
なのにあの事件以来、彼は口を閉ざして真相を語らないし、メディアにも
余り露出せず、マイケルの葬儀でも会場の隅にぽつんといたらしい。
逆にリアーナは以前より強かに振舞い、実力以上の賞も沢山受賞した。
マイケルの大ヒット曲を作ったR・ケリーの逮捕劇も記憶に新しい。
一体、彼らは何と引き換えに?という疑問が、私の中で頭をもたげる。