森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

セラフィーヌの庭

2011-01-11 | 映画ドラマ
ブログの記事にしたい出来事は沢山あるのに
毎日がバタバタと過ぎてゆき、そうこうしているうちに
新鮮味も失せていく・・の繰り返し。

受動的な感動という類の感情は、賞味期限も速いなとつくづく思う。
だからこそ、忘れたくない事はその都度何処かに記して、
再び心に刻み付けたいと思うのだけれど。


この間には、古い映画をBSやCSで観たり、レンタルでも何本かの
映画を借りて観た。
その中の一本、「セラフィーヌの庭」というフランス映画は
実在した女性画家の物語とあって、これは一人で観たいと思い
私には珍しく平日の昼間に鑑賞した(殆どは夜観るので)

自分が絵を描いていても、普通の著名な画家についてさえ
ありきたりの知識くらいしか持っていない私は、時代に埋もれた
この画家の名前もその絵についても、当然知識がなかった。




いつも裸足で、やや前かがみに歩くお世辞にも美しいとは言い難い
容姿の主人公セラフィーヌ。
粗野で貧しく家族も無く、時折動物のようにさえ見える女性であるが、
この映画で初めて観た彼女の絵には「魂が宿っている」と一瞬で感じた。

あるときは洗濯女、或いは肉屋の奥で内臓を切り落とし
またある時はお屋敷の下働きとして、朝から晩まで働きながら
それらの場所で黙々と集めた物(川の底の泥や木の実、レバーの血
教会で盗み取った油など)を、せっせと家に持ち帰る主人公セラフィーヌ。

私はここでもう彼女のこの行為が何であるかを、ほぼ直感で感じていて
映画にぐんぐん惹き付けられていった。
彼女のこの行為が、彼女が描く植物や果実の、独特のタッチに必要なものだと
すぐに解る。
深夜、薄暗がりの中でこれらの絵を描く時間だけが、彼女の至福の時だった。


彼女の働く家に、ドイツ人画商ヴィルヘルム・ウーデ(ピカソを発掘し
ルソーを見出した人物)が引っ越してくることから、彼女の人生は激変する。

たまたま見てしまったウーデの嘆きの場で、彼女は言う。
「旦那様、悲しい時は田舎に行き、木に触るといいですよ。
植物や動物と話すと悲しみが消えます」
それは彼女自身、マイケルのネバーランドにあった「恵みの木」に似た木に登り、
空を仰ぎ、神に祈り、様々な苦悩を癒していたから。

あらゆる感情という感情の、どんな小さな片鱗さえも見せず生きる彼女の
初めて見せる人としての優しさ。
ウーデは偶然彼女の絵を見る機会を得、彼女の絵に惹きつけられる。

世に出そうと、支援を申し出るウーデに、初め、「一生懸命働けば、
鍋に神が見えると、聖女テレサが言います」と、受け付けなかった彼女が
次第にその力に頼ることになるのは、恐らく自分の作品が世に出ることよりも
「上から降ってくる」ままに自由に絵を描くのに必要な手段(キャンバスや
絵の具、それを得るための金銭)を得たことの方が嬉しかったからだろう。

しかし、彼女は次第に・・・(ストーリーはいつものように省きますね)

映画の中で、ウーデが彼女に「魂があるからこそ、人は悲しみを感じる
動物は悲しまないだろう?」と言えば、「いいえ、動物も悲しみます
子牛を奪われた母牛は泣きますよ」と素朴な言葉で、けれども力強い口調で
返すとき、私には彼女の胸の奥にある愛情とか悲しみとか
けして枯れてはいない感情の湖のようなものを垣間見た気がして切なかった。


(※ウーデが見出した素朴派とは“素朴”さゆえ、単純、幼稚、遠近感がないと
当初は評価されなかったが、美しい色と素直で純粋なタッチが、やがて徐々に
人気を得たとのことで、彼女の作品もこのジャンルに入るそうです

油絵をやったことがある人にはわかると思うのですが、絵の具とペインティング
オイルだけでは出せない色味や質感とかを、砂や何かの粉末などを絵の具に
混ぜてはあらゆる手を尽くし、自分なりのテクスチャーでキャンバス上に
表現する努力をしたことがある人は多いはず

また、筆に限らずナイフや手の指を使って描いたり、手製の綿棒を用いたり、
表現のための様々な努力をすることも、今では珍しいことではありません)


セラフィーヌがあの時代に独学でやっていたことは、後に多くの画家が
編み出したことと重なり、ただ純粋に魂の求めに従うという行為は
時代や人種も超えて、同じ場所に行き着くのかもしれないと
多くの絵画のようなシーンと共に、深く、それが心に刻まれる。




ラストでは、結末のそれと或いは関係ないとしても、
いつの世であっても、純粋で素朴な魂を傷つけるのもまた
自分を守るためにやむを得ずそうしてしまう人の魂なのだという現実を
突きつけられた気がする。

彼女の心が(精神が)、私たちには例えバランスを欠いているように
見えても、もしかしたら神の眼からは平安の中にあるのではないかとも思えて。
絵を描くということの最も大切な原点に、一気に戻されてしまった・・。
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