ここしばらく、起きていても寝ていても絶え間ない「頭痛」に悩まされていた。
過去形で綴っているが、実は今朝までそれが続いていた。今ようやく頭の中の霧が晴れて
きたような感覚でPCに向かっている。
昨日、重い腰を上げてやっと薬局に足を運び、いつもの「カルボシステイン」入りの市販
薬を手に入れて服用したが、いつもなら服用半日くらいで頭痛も引くのに今回は一日以上
もかかった。(途中の道路わきの側溝に、逞しく咲くユリの花をパチリ。外来種のタカサ
ゴユリもしくは、テッポウユリとの交配種だとか)
もしかしてこれはいつもの慢性副鼻腔炎による頭痛ではなくて、とうとうコロナのオミク
ロン株BA.5に感染してしまったのかも・・などと思ったりした。それくらい周囲に感染者
が多い今回の株。
関西に住む長女一家は、今夏に一歳の長男が罹り、その後娘も喉の痛みと咳や発熱などが
あったので検査を受けたところ、陰性と診断されていたが、娘によると恐らく家族全員感
染しただろうと言っていた。夫さんは元気だったが、ワクチンを3回受けていたので症状も
出なかったのだろう。
身近でも、姉たちの子供一家が全員陽性になるなど、いよいよ迫ってきた感があった。で
も私は仕事も辞めているし、ここ一か月以上外出もしないでいる。だけど、近くのスーパ
ーや郵便局、ATMなどには足を運ぶのだから、全く感染の可能性がゼロだとは言えない。
この間、報道番組や情報番組により次々に明るみに出る政治家たちと旧統一教会との癒着
ぶり、それに開き直る者やしらを切る閣僚や大臣などには呆れてものが言えない。
彼らと教会との癒着は古く、岸信介時代から続いたと思われる。一時期、統一教会が霊感
商法などで問題になった際に一時的に影を潜めたかに見えたが、教会の名称変更を可能に
してしまった安倍内閣以降に、その関係は更に深まったようだ。
各報道とネットに残るたくさんの記録はテキストで保存しているが、今回もそれらに加え
新たに知ったことなどをネットの記事から自分のドキュメントにある「政治」フォルダに
幾つかコピペした。
もしかしたら、「頭痛」はそんなことをしたせいかもしれないww 私がそんなことをす
るに至ったのは、自分のブログで記事にした際にリンクを貼った先が、いつの間にか消え
るということに何度か遭遇したからだ。特に、過去の戦争に関わる貴重な証言など、もう
二度と聴けないであろう数々の証拠が消えつつあることに、危機感を覚えたのだ。
戦後生まれでも、私たち自身は周囲にその当時のことを話してくれる大人がいた。だけど、
終戦記念日近くに学校などで行われていた「平和教育」を、今は反対する親もいるとかで、
段々当時のことを知らない人の方が増えている。そう仕向けたのも安倍政権時代だと思う。
もう過去を知る人がいなくなりつつある。私たちだって知らなかったことがたくさんある。
昨夜の「ニュース23」では、若い特攻隊員に「覚せい剤入りのチョコ」を与えたことを
知る90代の女性たちが証言していた。この「不都合な真実」は、知る人だけが知る隠され
た秘密なのだという。
↓菊の紋章入りの覚せい剤チョコ
例年のように今年の終戦記念日前後にも、たくさんのドキュメンタリーを録画して観た。
人をモノのように扱った当時の国家には憤りに胸が震えた。どれも消せないと思ってしま
うが、多すぎてそうもいかない(笑)
また昨夜は、2021年にフランスで製作された(イギリスの)ドキュメンタリー「核ミサイ
ルを拒んだ女たち -証言 グリーナムコモンの19年-」を観た。その運動を始めたの
は女性ではあるが、女性であるがゆえのその逞しさに、溝に咲いた「タカサゴユリ」みた
いだと思った。強くあらねば。杉田議員のような「ふてぶてしさ」とは真逆の。
そもそもこの計画は当初誰も知らなかった。新聞の片隅に小さく「NATOが、欧州の
兵器を近代化」と出ていただけだった。地元の住民にリーフレットが配られ、「お住
まいの地域を大型車両が何台か通過しますが、それは皆さんを守る巡航ミサイルを運
ぶ車両です」とあった。兵器を「近代化」ってなに?彼女たちはそう思ったという。
万が一核戦争が起きた時、世界全体に拡大せず、欧州戦域に留めることが出来るとい
うことだった。NATOがヨーロッパに核巡航ミサイルを配備するのは、ソビエトに対抗
するためだった。それは議会での議論もなく、NATOがオランダ・イタリア・ドイツな
ど配備する場所を決定した。彼女たちの住むグリーナムコモンも配備予定地となった。
グリーナムコモンは第二次大戦中に徴用され、空軍基地として使用するためにアメリカ
に提供され、そのままになっていた。彼女たちはこのままではいけないと立ち上がり、
デモ行進をして訴えた。「地球を破滅から守ること。それこそが何物にも優先すること
なのだ」と。
それは1981年から周囲の女性たちや母親たちがベビーカーを押しながらの小さな運動か
ら始まり、様々な妨害にも遭いながら活動はやがて世界中に「核兵器廃絶」を訴える人
々の大きなうねりへと広がっていった。グリーナムコモンに配備された核ミサイルは、
19年後の2000年に最後の一個が撤去された。
過去形で綴っているが、実は今朝までそれが続いていた。今ようやく頭の中の霧が晴れて
きたような感覚でPCに向かっている。
昨日、重い腰を上げてやっと薬局に足を運び、いつもの「カルボシステイン」入りの市販
薬を手に入れて服用したが、いつもなら服用半日くらいで頭痛も引くのに今回は一日以上
もかかった。(途中の道路わきの側溝に、逞しく咲くユリの花をパチリ。外来種のタカサ
ゴユリもしくは、テッポウユリとの交配種だとか)
もしかしてこれはいつもの慢性副鼻腔炎による頭痛ではなくて、とうとうコロナのオミク
ロン株BA.5に感染してしまったのかも・・などと思ったりした。それくらい周囲に感染者
が多い今回の株。
関西に住む長女一家は、今夏に一歳の長男が罹り、その後娘も喉の痛みと咳や発熱などが
あったので検査を受けたところ、陰性と診断されていたが、娘によると恐らく家族全員感
染しただろうと言っていた。夫さんは元気だったが、ワクチンを3回受けていたので症状も
出なかったのだろう。
身近でも、姉たちの子供一家が全員陽性になるなど、いよいよ迫ってきた感があった。で
も私は仕事も辞めているし、ここ一か月以上外出もしないでいる。だけど、近くのスーパ
ーや郵便局、ATMなどには足を運ぶのだから、全く感染の可能性がゼロだとは言えない。
この間、報道番組や情報番組により次々に明るみに出る政治家たちと旧統一教会との癒着
ぶり、それに開き直る者やしらを切る閣僚や大臣などには呆れてものが言えない。
彼らと教会との癒着は古く、岸信介時代から続いたと思われる。一時期、統一教会が霊感
商法などで問題になった際に一時的に影を潜めたかに見えたが、教会の名称変更を可能に
してしまった安倍内閣以降に、その関係は更に深まったようだ。
各報道とネットに残るたくさんの記録はテキストで保存しているが、今回もそれらに加え
新たに知ったことなどをネットの記事から自分のドキュメントにある「政治」フォルダに
幾つかコピペした。
もしかしたら、「頭痛」はそんなことをしたせいかもしれないww 私がそんなことをす
るに至ったのは、自分のブログで記事にした際にリンクを貼った先が、いつの間にか消え
るということに何度か遭遇したからだ。特に、過去の戦争に関わる貴重な証言など、もう
二度と聴けないであろう数々の証拠が消えつつあることに、危機感を覚えたのだ。
戦後生まれでも、私たち自身は周囲にその当時のことを話してくれる大人がいた。だけど、
終戦記念日近くに学校などで行われていた「平和教育」を、今は反対する親もいるとかで、
段々当時のことを知らない人の方が増えている。そう仕向けたのも安倍政権時代だと思う。
もう過去を知る人がいなくなりつつある。私たちだって知らなかったことがたくさんある。
昨夜の「ニュース23」では、若い特攻隊員に「覚せい剤入りのチョコ」を与えたことを
知る90代の女性たちが証言していた。この「不都合な真実」は、知る人だけが知る隠され
た秘密なのだという。
↓菊の紋章入りの覚せい剤チョコ
例年のように今年の終戦記念日前後にも、たくさんのドキュメンタリーを録画して観た。
人をモノのように扱った当時の国家には憤りに胸が震えた。どれも消せないと思ってしま
うが、多すぎてそうもいかない(笑)
また昨夜は、2021年にフランスで製作された(イギリスの)ドキュメンタリー「核ミサイ
ルを拒んだ女たち -証言 グリーナムコモンの19年-」を観た。その運動を始めたの
は女性ではあるが、女性であるがゆえのその逞しさに、溝に咲いた「タカサゴユリ」みた
いだと思った。強くあらねば。杉田議員のような「ふてぶてしさ」とは真逆の。
そもそもこの計画は当初誰も知らなかった。新聞の片隅に小さく「NATOが、欧州の
兵器を近代化」と出ていただけだった。地元の住民にリーフレットが配られ、「お住
まいの地域を大型車両が何台か通過しますが、それは皆さんを守る巡航ミサイルを運
ぶ車両です」とあった。兵器を「近代化」ってなに?彼女たちはそう思ったという。
万が一核戦争が起きた時、世界全体に拡大せず、欧州戦域に留めることが出来るとい
うことだった。NATOがヨーロッパに核巡航ミサイルを配備するのは、ソビエトに対抗
するためだった。それは議会での議論もなく、NATOがオランダ・イタリア・ドイツな
ど配備する場所を決定した。彼女たちの住むグリーナムコモンも配備予定地となった。
グリーナムコモンは第二次大戦中に徴用され、空軍基地として使用するためにアメリカ
に提供され、そのままになっていた。彼女たちはこのままではいけないと立ち上がり、
デモ行進をして訴えた。「地球を破滅から守ること。それこそが何物にも優先すること
なのだ」と。
それは1981年から周囲の女性たちや母親たちがベビーカーを押しながらの小さな運動か
ら始まり、様々な妨害にも遭いながら活動はやがて世界中に「核兵器廃絶」を訴える人
々の大きなうねりへと広がっていった。グリーナムコモンに配備された核ミサイルは、
19年後の2000年に最後の一個が撤去された。
過去の戦争の歴史を読んだり観たりしておりました。
「大東亜戦争」をググると、本当にたくさんの「肯定本」が出版されていて驚きます。
「日本人が求めていた誇りがここにある!」と銘打ち、
国際裁判の法廷で
「断じて日本は侵略戦争をしたのではありません、自衛戦争をしたのであります」
と主張した東條英機を美化した内容のなんと多い事!
今夏の関連ドキュメンタリーは、インパールだけでなく、
「大東亜共栄圏」の名のもとに周辺アジアを手中にしようとしていた日本軍に対し
それらの国の人々が彼らをどのように感じていたかにもスポットが当てられていました。
どのように他国の人々を踏みにじったか、また撤退する際に
自国の兵に最後まで守れという任務を押し付け、
上の者は卑怯にも逃げ帰った記録や証言などが残っていました。
同じ日本人として情けなく・・。反省無きところに同じ過ちを繰り返さぬ保障は無いと感じました。