少し前だけど、ふうちゃんの口癖が「何かいいことないかな~」だと二女が言うので、
私はちょっと驚いた;
元夫つまりふうちゃんにとっての祖父の口癖が、そうだったからだ@@;
夫と一緒に生活していた頃、私はその言葉を聴くのがなぜかとても嫌だった。私といる
と退屈なのか?と思ったし、私はいつもワンオペで退屈などしている暇はなかったのだw
だけど子育ても終わり、仕事も辞めたらきっと暇になるかもと思ったが、一向にその気配
はない(笑)むしろ一日があっという間に終わってしまうのだから。きっとこんなことし
ているからかな。
毛布のような生地の、救命胴衣のようにサイドをベルトで結ぶデザインのベスト
を激安で売っていたので、購入。即、サイドのベルト部分をカットし、空いた部
分を縫い留めて普通のベストにしてみたら、好みのカタチになったし暖かい♪
私は洋服を見るのは好きだが、どんなに流行の服をみても、似合わない服は欲し
くならない。買えないからというより、有り余るほどの自前の服を捨てられない
ので、リメイクなどで変化をつけるようにしている。イギリスの番組「ソーイン
グビー」など、大いに参考になる。
数年、アパレルに勤めていた経験からか、周囲から度々、洋服選びについてきて
と言われるので、喜んでついていく(笑)が、どんな高級品を買うのを見ても、
元々他者と自分を比べないので羨むことも、まず無い。
美容師さんには扱い難い私の髪も、今は自分で好きなようにカットしているし、
化粧品もほぼ無添加に近い生協の物か、アテニアなどの低価格の製品。食事は
高価ではないが食べたいものを自由に作って食べられる。こんな誰にも束縛さ
れない今を、つくづく幸せだと感じる安上がりな人間なのだw
昔、長女に「お母さんはいつも機嫌のいい脳」だと言われていたが、もしかした
らあれは「能天気だね」という意味だったのかもしれないけどw 小さなことで
満足する人間だということは確か。つまり徹底して「わが道を行く」人間だから
こそ、人と比べずいつも満ち足りていられたのだと思う。
それでも、やらねばならない事にはなるべく早く取りかかるよう心掛けているの
で、やりたいこと、例えば「絵を描く」ことなどの優先順位は後回しになり、な
かなか時間が取れない。映画も観たいし、本も読みたいし、歌も憶えたいw
今日は少しだけ時間が出来たので、昨日届いた「12B」の鉛筆を使ってデッサンに
取り掛かった。
絵と言えば、先日のアナザーストーリーは、「バンクシーとは何者か」というテー
マだった。
バンクシーは日本でも「有名なアーテイスト」として知られるようになったが、元
々、街の壁などに落書きのような作品を描く「ペインター」と呼ばれる存在 だった。
しかし、彼は一部の美術関係者が「これが良いアートだ。これに価値がある」と決め
ているような風潮に反旗を翻し、アート界の権威に挑んだ
「グラフィティ」を、いつまでも落書き扱いするアート界への挑戦状をつきつけるべく
有名美術館に作品を無断で展示し、その映像を「ラザリデス」という協力者の手を借り
世界中に公開していった。やがてバンクシーは一躍注目を浴びるようになり、作品は高
値で売買されるようになった。
金儲けのために転売する画商たちを、彼は「害虫」と呼んだ。
アートを金儲けの道具と捉える者たちを害虫にたとえ、揶揄したのだという ↑
そして、あのシュレッダー事件が起きた 「風船と少女」という作品に一億三千万と
いう高値が付いた瞬間、下半分が額縁に仕込まれたシュレッダーで切り刻まれたあの
有名な事件。「アートは金持ち達の投機対象ではなく、多くの人に喜んでもらうため
にある」というバンクシーのメッセージであったが、皮肉にもこの形で↓更に価格が上
がった。
しかし、バンクシーは自らコロナ禍にある病院や戦地に赴き、そこに作品を残すことで弱者
に寄り添い続けた。↓病院スタッフに対しては、あなたたちこそヒーローだというメッセージを。
パレスチナでは風船を使って壁を超えようとする少女の姿を描き、
ウクライナでは柔道着を着た(プーチンと思われる)男性を投げ飛ばす子供を描いた。
この絵は記念切手としても販売され、売り上げは被害を受けたウクライナの人々のために使われていると
いう。
昨年観た「世紀の贋作」というドキュメンタリーでも、バンクシーが主張した美術関係者やそれらの権威
のあり方に対する批判と重なるものがあった。ランディスという贋作家が自分の絵を「疑わず」に買った
美術館に対して語った言葉は、私にはとても興味深かった。
彼らは、他者の価値観を基準に生きる人の愚かさを、私たちに教えてくれている。