「無題」 (四)―⑨

2012-06-03 02:13:20 | 小説「無題」 (一) ― (五)


          「無題」


          (四)―⑨


 美咲が手首を切って自殺を図ったのは二年生の終わり頃だった。

彼氏にデンワで宣言してから自分の部屋で行った。すぐに彼氏が駆

けつけて、躊躇い傷は多数あったが致命傷でなかったので大事には

到らなかった。彼氏との別れ話が原因だった。早速、母の弘子が京

都の病院へ向かったが、私は仕事を休むわけにはいかなかった。二

週間あまりの入院のあと、独り京都に残すわけにはいかないので学

校に休学届を出して暖かくなるのを待って連れ帰って来た。思ったよ

りも元気そうだったので妻に言うと、妻は、そう装っているだけだと言

下に否定した。そうだった、彼女は明るい自分を演じるのが実に巧妙

だった。普段は闊達に振舞う彼女と、初めて会った子どもの頃に見せ

ていた臆病な暗い表情が私の中でどうしても繋がらなかった。私の目

には彼女の明るさが生まれ持った性格というよりも、過去の寂しさを

忘れようとして無理にそうしているように思えてならなかった。私は、

「それで、彼氏とはどうなったの?」

妻は、大きく手を振って、

「ダメに決まってるじゃない」

妻が言うには、一縷でもやり直せる望みがあれば彼女は決してそん

なことはしなかっただろう。入院中に彼氏が訪ねてきたが、彼女は

面会を断ったという。そして妻は、

「恋愛は同情とはちがうから」

とつぶやいた。

                                   (つづく)
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