「正常な精神」

2012-06-27 07:53:35 | インポート


           「正常な精神」



 「全国民対象に精神疾患検診=ストレス社会背景、世界初-韓国」


 【ソウル時事】韓国保健福祉省は25日までに、2013年から

全国民対象に検診を実施するなど精神疾患に関する総合対策をまと

めた。同省によると、全国民対象の精神疾患検診は世界で初めての

取り組みという。

 進学や就職など競争が激しい韓国ではストレスにさらされている

人が多い上、都市化による人間関係の希薄化やインターネット中毒、

アルコール中毒も社会問題化している。

 同省の調査によると、精神疾患率は06年の12.6%から11

年には14.4%に増加。また、自殺による死亡率は経済協力開発

機構(OECD)加盟国でトップで、10~30代の死亡原因の1

位となっている。(2012/06/25-18:30)


         *      *     *


 何と!韓国では五千万人近くいる「全国民」を対象に精神疾患の

検診をするという。ただ、問題になるのは「正常な精神」とは一体

どういうものなのか、つまり、国民のほとんどが同じような精神状

態であれば、それは民族固有の正常な精神ということにならないか。

というのも、韓国社会は日本以上に儒教思想の呪縛に囚われ、宗族

社会のヒエラルキーから抜け出せないでいる。つまり、個人の自由

を認めない伝統を重んじる民族性に起因するのではないのか。また、

忘れてはならないのが彼国は休戦中とはいえ未だ南北戦争の戦時体

制下にあるということ。かつて我が国も戦時下で国体護持の名分の

下に一億玉砕の集団呪縛をかけられリゴリスティックな監視社会が

支配した。もちろん正常な社会ではなかったが、批判する者は異端

者として処された。つまり、異常な精神社会の下では正常な精神の

持ち主が異常者扱いされる。そして、終戦を迎えてそもそも「正常

な精神」とは何であるか解らなくなり未だに見つからないでいる。

韓国社会そのものが正常な精神を見失っているとすれば、かつての

日本のようにリゴリスティックな社会であれば、もちろんそれは戦

時体制下であるということに因るのだが、国民に対して精神疾患の

検診をいくら行っても、今を生きる個人の眼に映る社会そのものが

古い道徳のままでは国民のストレスはなくならないだろう。

 すべての人間は何らかの精神異常を抱えていると精神科医は見る

らしい。それ程でもなくても、どうでもいいことに対して殊更拘っ

たりすることは誰にでもある。精神疾患とは要は軽重の差でしか

ない。軽重の差なら軽くすることは可能なのかもしれない。かつて、

私は潔癖症の人と付き合ったことがある。始めのうちは相手の神

経質な潔癖さに驚かされたが、そのうち、自分の無神経な不潔さが

異常ではないかと思い始めた。つまり、どちらが正常であるか解ら

なくなってしまった。否、正常とは何かが解らなくなってしまった。

そして、「正常な精神」なんて実はないんだと思った。

 激変する社会では、社会的要請に個人を従わせようとする。個人

は自分自身であること(ザイン)よりも「かくあるべし」(ゾレン)に

従う。自己を主張して社会に逆らう者は異端者である。韓国だけに

非ず幼い頃からの受験競争を始めとする教育とは個人に対する社会

的洗脳である。人格に社会順応性を形成させようとする。例えば、

境界性人格障害という精神疾患は幼少期の自己形成が情緒不安など

によって阻害され、原因は様々だが、幼い頃からの習い事の強制の

場合だってあり得る、それによって自己が確立されず、もっぱら関

心が外へ向けられ社会(他者)の中で自分を偽装することには「偏

って」長けてさえいる、省みるべき自己が存在しないから。ところが、

いざ自分自身に戻ると虚しさに苛まれ孤独に耐えられなくなり、自

分を忘れるために他者(セックス、アルコール、薬物等)に依存する

ようになる。そして、遂にはそういう自分が厭になって自傷を繰り返

す。それらの疾患は幼少時の情緒不安によってもたらされることは

専門家によって認められていて、親からのDVや育児放棄、両親の

諍いや離婚など、それは何も韓国だけに非ず日本でも精神疾患の

症例者は増加の傾向にある。しかし、激しい競争社会の中を生き抜

いていくには、わかっていても子どものことばかり構っていられない。

更に、子どもが学校へ通い出すとその時から受験競争は始まってい

る。子どもたちは親に関心を向けさようと自分を忘れて勉強する。しか

し、それは決して自分から進んで学んでいるのではない。こうして、彼

らは社会性に於いては知識と忠誠を詰め込ま「される」が、ところが、

自分に関しては何も知ろうとはしない、何故なら正解が与えられてい

ないから。我々は自分自身とは一切係わらず社会の中で生まれ社会

の中で生き社会の中で死んでいく。この「社会」を「檻」に置き換えても

意味は同じです。

 経済の発展はそれまで抑圧されていた個人の自由を目覚めさせる。

更に、世界の情報は瞬時に共有され、それによって自分たちが置か

れた現状が見えてくる。韓国はこれまで儒教ヒエラルキーに押し込

まれて若者たちは窮屈な思いをしてきた。彼等が自己主張できるの

は唯一芸能界の中だけだ。それも日本と同じで序列に煩い社会であ

る。若者たちが欧米の個人主義に影響されて個人の自由を主張し始

めた時、儒教思想の洗脳を解いて古い道徳を破壊するのかもしれな

い。否、もうすでにそれは始まっているのかもしれない。

 例えば、精神疾患の検診の結果、若者たちの主体性に委ねるべき

だなどという結果にでもなれば、恐らく韓国社会は画一性が失われ

自己主張する者が増えて忽ち韓国の社会秩序は音を立てて崩れ去る

だろう。私はそれが本来の社会の姿だと思う。画一化された人格に

よる安易な服従から新しい可能性は生まれないと思う。自立した個

人による他者(社会)との繋がりからしか正常な関係は生まれない。

 ただ、これは日本にも言えることだが、厳しさを増す社会の中で

両親揃って穏かに子育てすることなどほとんど不可能である。子ど

もでさえもおちおち寝てられないとすれば、自己を育てられない子

らによる精神疾患の症例者の増加とは社会的要請の犠牲者だとも言

えなくもない。ただ忘れてならないのは、幼い子どもたちは貧しいこと

などまったく気にも掛けていないし、そんなものよりも親の愛に見守ら

れてひたすら身体の成長だけでなく自己を形成することだけを望んで

いるのだ。

 検診の結果を見た精神科医たちは、国民のストレスを減らすために

社会を変えるべきだと提言するのか、それとも社会を維持するために

個人の生活を改善すべきだと言うのか、診断の結果が待ち遠しい。