「松下イズム」

2012-06-19 10:08:02 | 「パラダイムシフト」



            「松下イズム」


 経営の神様、松下幸之助は1932年(昭和7年)に、のちに「水

道哲学」と呼ばれる考えを語っています。曰く、

「産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次

ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る

物であるが、通行人が之を飲んでも咎められない。それは量が多く、

価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、

物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。そ

れによって、人生に幸福を齎し、この世に楽土を建設する事が出来

るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る。」(ウィキペディ

ア「水道哲学」)

 彼の考えは戦後の高度経済成長と相俟って評価され、関西経済は

電気産業を中心に日本経済の発展を牽引してきた。当然のことなが

ら電化製品は電気がなければ使えない。そこで電気も水道の水の如

く無尽蔵に提供されなければならない。その源となる発電事業は過

去には黒部渓谷の巨大ダム建設によってもたらされ、その後は若狭

湾沿岸に14基も立地する原子力発電機によって支えられてきたの

だ。関西経済界はかかる松下イズムの「水道哲学」の下で電器産業

を成長させ発展してきた歴史がある。つまり、水道の水の如く流れる

電気を失ってしまえば関西経済は自らで動くことさえできないのだ。

 産業人として「水道哲学」の使命を提唱し成功したその松下幸之

助によって設立された「松下政経塾」の下で、松下イズムの薫陶を

受けた多くの塾生によって治められている現政権が、その洗脳を自

ら解いて脱原発政策へ転換することは尊師を蔑にした行為である。

何故なら原発は電気を「水道の水の如く」無尽蔵に作る「水道哲学」

に実に適っているからだ。さらに野田総理はその哲学を強く教え込ま

れた一期生でもある。彼らは考えているのではない、そう教え込まれ

ているのだ。つまり、そうする以外の生きる道など考えられないのだ。

電気もない耐乏生活へ戻るくらいなら、むしろ放射線汚染によって亡

んでも仕方がないとさえ思っている野田。

 そもそも資本主義とは無尽蔵にある資源を前提に成り立っている。

しかし、近代文明によって地球は急速に狭まりその限界が露になり

資源が尽き環境破壊が表面化して、大量消費社会は限界を迎えよう

としている。松下幸之助は無尽蔵にある資源によって「水道の水の

如く、物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供する事」が

産業人の使命だと言っている。余談だが、松下電器の製品は他者製

品よりも決して安価ではなかったが。貧困から抜け出そうとする社

会にとって、水道の水の如く無尽蔵に垂れ流すエネルギーが如何な

る問題を引き起こすかは経済発展に比べたら当時は大きな問題では

なかった。無尽蔵にある資源を使って大量生産し大量消費すること

こそが「人生に幸福を齎し、この世に楽土を建設する事が出来るの

である。」我々は経済発展を遂げることに何とか間に合ったが、と

ころが、これまで自然循環に従って慎ましく暮らしていた人々まで

も近代化を求め始めると、その前には資源の枯渇と環境問題が立ち

はだかり行く手を阻んでいる。何れ、資源の奪い合いは市場のルー

ルを無視するものによって破壊され、武力による争奪を引き起こす

ことだろう。それは資本主義の崩壊にほかならない。我々は、無限

に向かう志向を改め、地球の有限から遡行する志向が求められてい

るのではないだろうか。つまり、「物資を無尽蔵たらしめる」松下

イズムは、地球という限界を前にしてすでに破綻している。それは

また資本主義の崩壊であり近代物質文明の終焉である。

 さて、我々は、万が「二」の原発事故による放射能汚染の危険を

冒してでも、無尽蔵たらしむ原発の電気がもたらす「この世の楽土」

から去り難く、ただ横着して生きたいが為だけに、国家或いは民族

の存亡を賭して已む無しと判を下した。何故なら、この豊葦原の瑞

穂の国を失った大和民族は一体何処にそのアイデンティティーを求

め得るのか。その滅亡とは、如何にヒットラーがユダヤ人への粛清

を行なっても、更にはスターリンがいくら非道い虐殺を行ったとしても、

過去の独裁者によるジェノサイドの歴史を辿っても、それでも残され

た人々によって新しい社会は再生され独裁者の想いは果たせなかっ

たものだが、もしも我々が再び原発事故によって滅亡を迎える時は、

新しい人々による社会再生の萌芽さえも奪う生存環境を破壊する絶

対破壊であり、然も、それが何と!民主主義制度の下で国民自らに

よって選択されたことだけは決して忘れてはならい。



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「無題」 (四)―②

2012-06-19 03:05:26 | 小説「無題」 (一) ― (五)



           「無題」


            (四)―②



 妻の弘子から会社に居る私の携帯へ電話が掛かってきて、娘の美咲

がまたリストカットをしたと、聞き取り難い声で言った。

 美咲は彼女の連れ子だった。私が妻の弘子と知り合ったのは、それ

まで勤めていた会社が倒産して職を失い、アルバイトとして雇われた

スーパーで彼女は主にレジ係としてパートで働いていた。レジ係とい

っても小さなスーパーだったので客が少ない時は商品の陳列やラップ

掛けなどもしなくてはならなかった。彼女は、経験のなかった私に仕

事のことを何もかも教えてくれた。それほど背は高くなく幾分痩せて

いてパッと見て人目を引く華やかさはなかったがハッキリした目もと

や引き締まった唇、それに真っ直ぐな鼻筋が強い意志を感じさせ、目

を移した後にすぐには脳裏から離れなかった。私よりも2才年上で既

に前夫とは離婚をして母娘二人で暮らしていた。当時小学4年生だっ

た娘の美咲は、母親の顔立ちを失わずにさらに濃縮させて利発的に見

えたが、人と話す時には表情全体から不安が読み取れた。学校が終わ

ると毎日母親が働く店に立ち寄り母親と言葉を交わしてから家路に着

いた。大人しい子だったが何度か顔を合わすうちに私にも「おじさん、

こんにちわ」と恥ずかしそうにあいさつをしてくれるようになった。

やがて、彼女のお母さんは私に、仕事以外のことも色々教えてくれる

ようになって、仕事上の関係よりもさらに親密な関係を結ぶようにな

っていた。その頃私は、今は亡き社長から正社員にならないかと誘わ

れていたので渡りに船とばかりに彼女との関係を打ち明けてその誘い

に有難く従った。娘の美咲は、それまで「おじさん」と呼んでいた人

を「お父さん」と呼ばなくてはならなくなったことに最初は戸惑って

いたがすぐに判ってくれて私を本当の父親のように慕ってくれた。わ

がままを口にしない聞き分けの良い子だった。むしろ、どちらかと言

えば急に育ち盛りの娘の父親になった私の方が解っていなかった。し

ばらくすると、私の仕事が忙しくなって家族で過ごす時間どころか寝

る時間さえなくなった。それにも係わらず妻が私の子を身籠った。女

の子だった。美咲はすでに中学生になっていた。思春期のむつかしい

年頃だと聞かされていたが、私は仕事に追われてそれどころではなか

ったし、妻は赤ん坊の世話でそれまでのように彼女と関われなかった。

そんな時に、彼女の最初の反抗が始まった、夏休みに入ってすぐに家

出をした。夜になってもまだ店で働いていた私に妻から電話があって、

美咲が出掛けたまま戻って来ないと泣きながら言った。すぐに、警察

に捜索願を出して、友だちとか心当たりのあるところへ電話で確かめ

て見るように言った。私が店を閉めて家に帰った時はすでに深夜だっ

た。妻は、方々へ連絡を取ったが彼女の行き先がまったく解らないと

嘆いた。しばらくして、警察から「保護しました」という電話が掛か

ってきた時はすでに十二時を回っていた。彼女は隣県の繁華街を独り

で歩いているところをおまわりさんに保護された。そこは彼女の実の

父親の実家がある街だった。


                                   (つづく)

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