「民主主義の死」
ものごとをどうするかという議論で、賛成反対が拮抗して結論が
出ない時に、是非はあるにせよ、それでは多数決を取りますという
のが、ま、一応民主主義の手続きだが、信じられないのは、組織の
分裂を避けるために多数決も取らずに結論をリーダーに一任すると
いうのであれば、そもそも何のための代議員制度だと言いたくなる。
主権者たる国民から選ばれて負託を受けた代議員は主権者国民の代
弁者である。代議員が主権者の意見を主張せずに所属する政党の指
導者の一存に判断を委ねるというのであれば、負託した主権者の意
見はどうなるのか。国民の意見よりも政党指導者の意見のほうが優
先されるのか。それって民主主義か?マス・メディアの評論家たち
は、すぐに政党内の意見はバラバラだと揶揄するが、そもそも国民
の意見がバラバラである限りそれを代表する代議員の意見がバラバ
ラであるのは至極全うな反応ではないか。いくら政党内で纏まって
も国民が納得しなければ意味がないではないか。それを政党の論理
を優先させて主権者の負託を受けた代議員の口に党議を飲ませて、
果たして民主政治と言えるのだろうか。仮に採決の結果、党が分裂
をするにしてもそれは勝れて民主的な流れではないか。政治団体は
宗教団体でも労働団体でもないはずだ。原発再稼働の問題にしろ、
消費税と社会保障問題にしろ、主権者の意見はものごとが決まって
からでないと投票による意志表示しかができないのか。国会がこの
国の政治の最高機関であるなら、主権者の意志が代議員を通して正
しく反映されるように、民意を歪める姑息な党議拘束を解いて、国
民の支持を失くして末期にある指導者などに一任せずに、是非はあ
るにせよ、代議員は主権者の意見を代表として堂々と投じてもらい
たい。そうでなければ、代議員は主権者の負託を放棄した責任を負
わなければならない。それは主権者を無視した政党優先の政党主権
であり、政党あっての国民であり、民主主義の死である。

にほんブログ村