「民主主義の死」

2012-06-15 23:58:20 | 「パラダイムシフト」



          「民主主義の死」


 ものごとをどうするかという議論で、賛成反対が拮抗して結論が

出ない時に、是非はあるにせよ、それでは多数決を取りますという

のが、ま、一応民主主義の手続きだが、信じられないのは、組織の

分裂を避けるために多数決も取らずに結論をリーダーに一任すると

いうのであれば、そもそも何のための代議員制度だと言いたくなる。

主権者たる国民から選ばれて負託を受けた代議員は主権者国民の代

弁者である。代議員が主権者の意見を主張せずに所属する政党の指

導者の一存に判断を委ねるというのであれば、負託した主権者の意

見はどうなるのか。国民の意見よりも政党指導者の意見のほうが優

先されるのか。それって民主主義か?マス・メディアの評論家たち

は、すぐに政党内の意見はバラバラだと揶揄するが、そもそも国民

の意見がバラバラである限りそれを代表する代議員の意見がバラバ

ラであるのは至極全うな反応ではないか。いくら政党内で纏まって

も国民が納得しなければ意味がないではないか。それを政党の論理

を優先させて主権者の負託を受けた代議員の口に党議を飲ませて、

果たして民主政治と言えるのだろうか。仮に採決の結果、党が分裂

をするにしてもそれは勝れて民主的な流れではないか。政治団体は

宗教団体でも労働団体でもないはずだ。原発再稼働の問題にしろ、

消費税と社会保障問題にしろ、主権者の意見はものごとが決まって

からでないと投票による意志表示しかができないのか。国会がこの

国の政治の最高機関であるなら、主権者の意志が代議員を通して正

しく反映されるように、民意を歪める姑息な党議拘束を解いて、国

民の支持を失くして末期にある指導者などに一任せずに、是非はあ

るにせよ、代議員は主権者の意見を代表として堂々と投じてもらい

たい。そうでなければ、代議員は主権者の負託を放棄した責任を負

わなければならない。それは主権者を無視した政党優先の政党主権

であり、政党あっての国民であり、民主主義の死である。


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「無題」 (四)―④

2012-06-15 04:18:44 | 小説「無題」 (一) ― (五)

              「無題」


               (四)―④


 ある日、社長からデンワがあって、何時もの様に仕事の話だと思っ

て聴いていると、子どもは大きくなったかだとか家族とは上手く行っ

てるかだとか、いっこうに肝心の仕事の話に入らないので、「忙しい

ので切りますよ」と言うと、「実は、」と低い声で言い、少し間を置

いてから、娘の美咲が、かつて私と妻が出会ったあの店で万引きを繰

り返しているようだと言った。「どうも間違いないみたいだ」と、社

長は防犯カメラに何度も映る少女を確めた店長の話を打ち明けた。そ

して、もっと早く教えてやればよかったが、私の後輩の店長は随分と

躊躇ったらしい。私は早速店長にその映像を送ってもらって確かめて

から彼に謝り、すぐに弘子に連絡した。「こんなことは絶対に許せな

い」と妻に憤りをぶっつけると、彼女は「まず、私が美咲に確かめる

から」と言って、あなたが感情に任せて頭ごなしに叱ったら美咲が壊

れてしまうから「どうか私に任せてほしい」と言うのでそうした。その日

は土曜日だったが、つまり、店にはやるべき仕事が山のように積まれ

ていたが、主任に責任を預けて夕時のお客さんで賑わう店内を後にし

た。

 妻は、ダイニングテーブルにその店に罪滅ぼしのために注文したと

思われる美咲の好物のにぎり寿司が、それも特上にぎりが並べられた

円形のフードパックを真ん中に置いて夕飯の準備を終えていた。私が

シャワーを浴びてイスに腰を下ろすと、妻に促されて美咲が階段を恐

る々々降りて来て、私自身も緊張が高まってきて冷静を心掛けることが

精一杯で、たとえ目の前に特上すしがあっても食指を動かされることは

なかった。

                                     (つづく)
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