ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「ルナサに踊る」

2022-06-03 22:15:11 | 芝居
5月31日紀伊國屋サザンシアターで、ブライアン・フリール作「ルナサに踊る」を見た(劇団民藝公演、演出:シライケイタ)。



1936年の夏、アイルランド北西部の村はずれでつましく暮らすマンディ家の5人姉妹。教師の長女ケイトがひとりで家計を支え、三女アグネスと四女ローズは
編み物をしてわずかな収入を得るのみ。末娘のクリスには7歳になる息子マイケルがいる。
そんな一家のもとへ、25年もの間アフリカで働いていた長男のジャック神父が無残な姿で帰ってきた。姉妹はかつて一緒に踊った8月の収穫祭(ルナサ)の
日々を懐かしみ、次女のマギーはラジオから流れる音楽に身を任せ踊り出す。つられて姉妹たちもダンスに夢中になり感情を解き放つが、マイケルの父親ゲリーが
突然現れて・・・(チラシより)。

舞台上手に食卓と椅子が6脚ほどと、オーブンや食器棚やその他の棚。下手は庭で簡素なベンチがある。
ただし、その間に壁もドアも窓もない、珍しいセット。

5人姉妹は上から順にケイト、マギー、アグネス、ローズ、クリス。末娘クリスの息子マイケルは私生児だ。
つまり、彼女たちは誰も結婚したことがないのだった。
大人になったマイケルが過去を懐かしく回想するという形で芝居は進行する。
母親代わりのケイトが唯一の稼ぎ頭だが、彼女は堅苦しく、妹たちを厳しく𠮟りつける。
次女マギーは38歳。ということは、姉妹はみな30代くらいということだ。
四女ローズは知恵遅れか、何らかの知的障害を持っているようだ。
ジャック神父は伝道のためにアフリカに行き、長年宣教師として働いていたため、この村の人たちの尊敬を集め、家族も尊敬されていたが、実際は、ミサをしていたのは
最初の数年くらいで、現地に溶け込むためにスワヒリ語を学び、使い、人々と親しくするにつれ、現地の風習や文化、宗教に惹かれ、どんどん馴染んでいったのだった。
四半世紀ぶりに帰国すると、妹たちの名前を思い出せず、(当然だが)英語がすぐに出てこなかったり、アフリカの友人たちを懐かしがり、現地の踊りを踊り出して
夢中になったり、異教の儀式の話を延々としたりして妹たちを困惑させる。
そのうち彼はすっかり元気になるが、もうミサを再開するという話はしなくなる。
そんなある日、突然マイケルの父親ゲリー(みんなジェリーと発音する)がやって来る。
ケイトは無責任な奴、と怒るが、彼はダンスが得意な軽い男で、庭でクリスと踊り続ける。今は蓄音機のセールスをしていて、これからスペイン内戦に加わる由。
秋になり、ケイトは職を失い、3女と4女の編み物の仕事もなくなる・・・。

ラジオから流れるアイルランドのリズミカルな音楽と、それを聞いた娘たちが、もう我慢できない、体が勝手に動き出しちゃう、という風に踊り出すダンスが面白くて楽しい。
ジャックが踊るアフリカの踊りも素敵で魅了される。
ローズの知的障害のことをもっとはっきり描いてくれないと、分かりにくい(これは原作のせいかも)。

作者の自伝的な作品らしいが、とりとめがなく、焦点がぼやけている。
ジャックは妹たちに現地の風習を語り、中には何かの血を回し飲むといった気持ちの悪いものもあるが、しまいに彼は、「あの人たちは我々と同じなんだよ!」
と熱を込めて言う。現地の人たちと深く知り合うにつれ、彼はそういう認識に達したのだった。
それは素晴らしいことだと思う。
西洋人にありがちだが、彼もまた、未開の人たちにキリスト教を伝えて啓蒙し、救ってあげようという、言わば上から目線の気持ちでアフリカに赴いたのだ。
だが、かの地の人々もまた、自分たちと同じように日々の暮らしを営み、家族を愛し、仲間と共に人生を楽しむ同じ人間なんだ、と気づいたのだった。
評者の個人的な関心からは、その辺のところをもっと深掘りしたいところだが、劇中ではあっさり触れられるだけだった。
伝道という点では失敗だったかも知れないが、彼の認識の大きな転換に加えて、現地の人々もまた、彼を通して西洋人と西洋の世界をいくらかは知ることが
できたわけだから、大いに意味があったと思う。

演出がよくない。終わり近く、全員が夕日を眺めて(客席を向いて)沈黙が続く場面では、沈黙があまりに長いので、誰かがセリフを忘れたのか、それとも
音楽が入るはずが機械が故障したのか、とハラハラさせられた!
芝居の中で音楽が邪魔なことは時々あるが、音楽があればいいのに、と思ったのはこれが初めてだ。
想像力が欠如しているとしか思えない。
舞台上の人々がしみじみしていたら客席もしみじみできるだろうと思ったとしたら大間違いだ。

暗くて辛い話なのに、語り手役のマイケルが終始明るい口調なのも違和感がある。
表面上は穏やかな日常が続くが、その先には悲惨な結末が待っている。
そのことを彼は淡々と告げる。
それを聞かされた観客はどうしたらいいのかわからず困惑する。

役者もあまりよくない。
ケイト役は、工夫すればもっと人間味のある、共感できる人物になっただろう。




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