遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

高木守道さん急死

2020-01-18 15:45:18 | 日記
令和2年1月18日(土)

元中日監督、高木守道さん突然の死

1月17日の未明、中日ドラゴンズの名二塁手
で活躍された後、監督を務められた高木守道氏
が、心不全で亡くなられた。(78歳)


1960年(昭和35年)県立岐阜商業高校から
中日に入団、現役生活21年間で2274本の
安打を放ち、盗塁王3回、「ミスタ-ドラゴンズ」
として人気が高かった。
特に、二塁手での守備は「正面を向いたままの姿勢
で遊撃手へバック・トス、強烈なゴロを横っ飛び
で掴み、ボールをグラブの中に収めた儘、遊撃手
へグラブ・トス等、可憐な守備でダブルプレーを
連発、野球ファンを魅了した。

グラブ・トス

ゴールデン・グローブ賞も3回受賞している。
どの評論家も「日本球界のNo,1二塁手」と
称賛した。現在では、広島の菊池選手が双璧で
在ろうか、、、。

高橋周平を指導する、、、

ドラゴンズの監督時代、1994年(平成6年)
10月4日、巨人との同率首位同士が最終決戦、
勝った方がセリーグ優勝が懸かる大一番、、
「10・8決戦」は球史に残る試合であった。
前年まで中日に居た落合選手が巨人に移り、、
中日先発のエース今中からホームランを打つ等
の活躍で、巨人が6対3で勝ち優勝をした。
この試合、巨人は槇原、斉藤雅、桑田のエース
級を投入し、必勝態勢」、、、後に長嶋監督は
「メーク・ドラマ」の流行語を、、、、。

この日は私の甥の結婚式が、名古屋駅前のホテル
で行われ、披露宴の真っ最中で在ったが、
客の一人がトイレに行った際、ロビーのテレビ
を見て騒ぎだし、、その内披露宴会場が騒つき
始め、男性客の半分くらいがロビーへ、、、
披露宴をソッチ除けでテレビ画面にクギ付けと
なり、盛り上がったのを、今も覚えている。
(甥っ子には申し訳ない事では在るが、、、)

高木守道さんは、地元」で知らぬ人はいない
名選手である。
普段は穏やかで寡黙な方であるが、いざ野球の
試合となると、闘志むき出しの人、試合中に
背後から「しっかりせい、、」と怒鳴り、、

監督時代にはベンチで名指しで選手を叱る、
「瞬間湯沸かし器」の異名を取るほど、、
選手からは、かの有名な星野監督より「怒らせ
たら怖い人」と恐れられていた様である。

いずれにせよ、中日ファンの私には最高の選手
で在った。 とても残念」である、、、、。

巨人の10連覇阻止し、セリーグ優勝(1974年)


今日の1句

寂しさのなほ重なりし冬木道     ヤギ爺


(写真は中日新聞、中日スポーツより引用)