令和3年8月9日(月)
長崎平和祈念式典
昭和20年8月9日午前11時2分、長崎市に一発の原子爆弾が
投下され、7万4千人の命が一瞬に消えた。
戦後76年目の今日、長崎市の平和記念公園で「平和祈念式典」が
営まれた。
それに先立ち、長崎市の「高校生平和大使」のメンバー80名が、
原爆殉死者の慰霊碑を囲み「高校生の鎖」を作り平和を祈願した。
午前10時45分、遺族代表により死没者名簿の奉安を行った。
10時52分、遺族代表(小、中、高学生等)が献水を行う。
続いて、遺族代表と長崎市長、長崎県知事に依る献花を行い、
順次来賓(菅総理大臣等)が献花をする。
11時02分、平和の鐘を合図に1分間の黙祷が行われる。
田上長崎市長の「平和宣言」
「放射能を持つ恐怖は、体験した者でなければ分からない。
政府や国会議員の方々は唯一の被爆国として「第一回締約国会議」
に、オブザーバーとして参加し核兵器禁止条約」を育てる道を進め
核兵器のない世界に向かう一つの道として、、「核の傘」ではなく
「非核の傘」となる、北東アジア非核兵器地帯構想について検討を
始めて下さい。、、、、核保有国と核の傘下にいる国々のリーダー
に訴えます。NPT再検討会議で世界の核軍縮を進展させるために、
先ず、米ロから核兵器削減へ踏み出す事を求めます。、、、、
先に広島の「広島、黒い雨訴訟問題」に対し、総理は控訴をしない
と断言されました。長崎に於いても「被爆体験者」への救済を求め
ます。、、、「広島が最初の被爆地」とすれば、「長崎は最後の被
爆地」として、歴史に刻まれる様に、、、、、、、
長崎は、広島をはじめとする、平和を要求する全ての人々と伴に、
平和の文化を世界中に、核兵器廃絶と恒久平和のため力を尽くします」
と述べた。
次に、被爆者代表の「平和への誓い」は92歳とご高齢の岡信子さん
が自らの体験を述べられた。
「当時、看護学生として過酷な惨状を目の当たりにして居ました。
怪我をした少年が母親を探して居る。死んだ我が子を抱きかかえた母
親は自らも血を流し、、肉や皮が垂れ下がった負傷者等の手当をする
のは、辛く悲しい、、、思い出すのも、、」と体験を話された。
菅総理大臣の挨拶は、広島の時とほぼ同じ内容で、、、
「核兵器の無い世界の恒久平和の実現に向け力を尽くします、、、」
と述べられ、「核兵器禁止条約」「被爆体験者の救済」への言及は
しなかった。ほぼ同じ原稿を棒読みする姿には空しさだけが、、、、
城山小学校児童による「子らのみ魂」の合唱があり、、、
来賓挨拶は、中村法道長崎県知事、グテーレス国連事務総長の挨拶は
国連軍縮担当上級代表の中満泉氏が代読された。
最後に、純心女子高校生による「千羽鶴」の清らかな歌声が流れる。
今日の1句
少年ら水がぶ飲みす原爆忌 ヤギ爺