「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「勝林院」(しょうりんいん)

2006年06月24日 21時16分41秒 | 古都逍遥「京都篇」
 「苔の上(へ)をまろぶがごとく流れゆく 呂律(ろりつ)の里の阿弥陀の聲明(しょうみょう)」(平井乙麿)

 "京都大原三千院 恋につかれた女がひとり…" デュークエイセスが歌ったこの歌で、静かだった大原に大勢の人が訪れるようになった。その昔、人気の少なかった時分、よく訪れたものだった。だが、この地を訪ねながら三千院や寂光院こそ巡るものの、そのほかの名刹は、ついついこの次にと見送ってばかりいた。
 古都逍遥を綴りはじめたのを機会に、勝林院を訪ねたみた。
 三千院の総門に向かって左手の方向に少し坂を下ると大原女が一人歩いてくる。「こんにちは、このご近所の方ですか」と話し掛けると、観光に来られた方が貸衣装を着込んでの散策だった。

 「苔の上をまろぶがこどくながれゆく…」の歌碑が山門を入って左手に佇んでいた。この歌の通り当院は呂律の寺・聲明の寺なのだ。
聲明は仏教歌なのだが、中国仏教の古典儀式音楽で「聲明音律」として、慈覚大師(第三代天台宗座主)がこれを学び持ち帰って比叡山で伝承した。
 その後九代目の弟子・寂源が長和2年(1013)、その道場を大原に移し、名を魚山と号して大原魚山流声明の根本道場として建立し、栄えた。
 法然上人を招き論義して以来、「大原問答」が行われ、昭和初期三千院宸殿ができるまで続いた。本堂は総欅造り、華麗さはないが見事な彫り物に目を奪われた。
 
 本堂前にある古池は、さながら芭蕉の「古池や 蛙飛びこむ 水の音」を想わせるような静けさが漂っていた。その池面にしだれた小木の枝に、天然記念物に指定されている「もり青蛙」の卵が、餅飾りのように無数にくっ付いていた。案内人の小坊主さんもおらずお掃除の叔父さんが黙々と堂周りを掃いていた。ふと、放浪の画家・山下清画伯の姿を思い浮かべてしまった。そこには小さな里山の、古寺の癒しの空間があった。
 
 交通:京都駅から市バス大原方面行き、大原下車徒歩20分。






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