「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「祇園新橋」(ぎおんしんばし)

2006年06月09日 21時34分35秒 | 古都逍遥「京都篇」
 花街祇園の北に位置する新橋は、祇園社(現八坂神社)の門前町として開け、江戸時代には芝居や人形浄瑠璃の小屋が建ち並んだという。茶屋町として開発された祇園新橋界隈には、江戸末期から明治初期にかけての高級な町家が、柳並木の石畳の道沿いに洗練されたたたずまいを見せている。新橋通に面した区画は、紅殻格子が美しい茶屋様式の町家の表側の町並み。一方、白川に面した区画は、簾のかかった川端座敷など茶屋の裏側ともいえる町並みが続き、並木や石畳と調和して風情がある。

 歴史は290年ほどさかのぼるが、江戸時代の正徳3年、知恩院の山門から西へ縄手通りまで道が作られ、このとき白川の下流に橋をかけ、新橋と呼ぶようになる。道筋には祇園六町がつくられ、以来、江戸時代の町民文化の浮世草子、浄瑠璃、歌舞伎、音曲の舞台となった。
 祇園地区は茶屋町として形成され、祇園六町のうち新橋通りを中心とした東西約160メートル、南北約100メートルの範囲が「伝統的建造物保存地区」に指定されている。
 建物は切妻造・桟瓦葺・平入、2階建で、元治2年(1865)の大火直後に建てられたものである。1階に格子をつけ、2階は座敷となって正面に縁を張り出して「すだれ」を掛け、いわゆる京都らしい景観をみせている。
 石畳の道の北側に柳の木、南側に桜や梅、牡丹、紫陽花、芙蓉などが植えてあり、四季折々の花を楽しむことができる。春には夜桜の下、舞妓さんが観桜・桜まつりの初日にサービスで姿を見せてくれて、気さくに写真撮影に応じてくれる。

 明治期の歌人、吉井勇は人生の大半を京都ですごし、特に祇園を愛でていたようで、「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕のしたを 水のながるる」と自分の古稀を祝って詠んだとされる歌が碑に刻まれている。
 映画やテレビドラマでよく登場する巽橋(たつみばし)は、白川通りから切り通し通りに入れるように架かっている。この橋の周辺は祇園の中の祇園と言ってもいいほど情緒がある。滑らかな小川のせせらぎに柳のしなやかな枝が水面をなでるように清めている。この橋を渡ると辰巳神社(たつみじんじゃ)がある。辰巳の方角(南東)を守るために作られた社であるが、大阪ミナミの「水かけ不動」と同様に、祇園町にかかわる人たちのシンボル的な神社となり、芸子さんや舞妓さんたちを中心にした祇園芸能に関連する人たちから親しまれている。春には枝垂れ桜が、御茶屋の簾、白川のせせらぎ、秋には紅葉が舞う祇園町の小社・辰巳神社には、いつもお参りの人が絶えない。 

 所在地:京都市東山区新橋花見小路西入る元吉町。
 交通:市バス・祇園停留所、徒歩5分、京阪電車・四条駅、徒歩10分。
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