「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「高瀬川」(たかせがわ)

2006年06月13日 21時35分12秒 | 古都逍遥「京都篇」
高瀬川は、慶長16年(1611)に方広寺大仏殿(慶長9年に焼失)の再建のため、豊臣秀頼の命により豪商角倉了以・素庵父子によって資材運搬用に開削された。一説には、徳川家康が豊臣家の資力を削減させるために行わせたとされている。この川で用いる舟を高瀬舟といった。
 高瀬川運河は角倉家に委託された慶長19年から大正9年の長きにわたって、角倉家の経営のもとで京都の経済ルートの中心的役割を果たした。
 二条から五条にかけて七つの船入り(荷物の積みおろしをするための船だまり)があり、川筋に並んだ問屋は隆盛をきわめたといわれている。そのうち、起点・二条の一之船入跡は国の史跡として保存されている。
 現在、高瀬川沿いは夜のネオン街として若者やサラリーマンたちに親しまれており、新選組に登場する月形半平太の「月さま、雨が」という名台詞が似合う風情は見ることもできない。毎年9月23日には、地元の人たちによって「高瀬川舟まつり」が開かれ、川に浮かぶ高瀬舟の試乗も行われている。
 
 起点となる取水口は、東一条通付近にある鴨川の堰の横に位置し、取水された「みそそぎ川」はしばらく鴨川の河川敷の下を流れた後、丸太町通を過ぎたあたりで姿を現し、二条通南側で高瀬川と分岐する。
 高瀬川と分岐したみそそぎ川は一部鴨川に水を落とし、ゆっくりと南へくだり、京都の繁華街の中心地の鴨川河原のそばを静かに流れていく。
 また、分岐点南側から松原通付近まで、夏になると納涼床がみそそぎ川に設けられ、京の夏の風物詩になっている。納涼床は江戸時代にまでさかのぼることができる京都の伝統的町衆文化で、かつては鴨川に設けられていたが、大正期の河川改修で設置先がみそそぎ川に変更された。
 四条通を過ぎたあたりになると鴨川の河原も閑散とし、みそそぎ川も目立たぬように五条大橋そばで鴨川へと帰っていく。そしてみそそぎ川から分岐した高瀬川は、高瀬川源流庭苑へと流れる。同庭苑は高瀬川開削に携わった角倉了以の旧別邸にあった庭園で、現在は「がんこ高瀬川二条苑」(飲食店)になっており、別邸庭園の頃にはモデル撮影会などでも使われ、私も2度ほど撮影に出向いたことがある。この庭苑を抜けると高瀬川は一之舟入跡(いちのふないり)に出る。
 
 一の舟入から高瀬川は木屋町通に沿って南に向かって流れ、五条通に続く。五条通を過ぎると木屋町通沿いに流れ、生活に溶け込んだ素朴な川の姿となり、新幹線・JR線の線路をくぐると、高瀬川は普通の都市河川の光景となる。

 所在地:京都府京都市中京区。
 交通:京阪本線三条駅下車、徒歩10分、市バス「河原町御池」下車、徒歩5分。

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