秋が深まりゆくころ、全山燃えるような紅葉で覆いつくされる名刹・東福寺を訪ねる人は多い。ところが、一歩、裏手に回るとぐっと人の数が減る。そこは室町庭園を誇る名勝・即宗院なのだが知る人は少ない。 東福寺境内に流れる渓流「洗玉澗」にかかる重要文化財「偃月橋」(えんげつ)を渡ると左右に石造の仁王像を配した山門がある。山門の左の隅にひっそりと芳しい山茶花が白い花をつけ、当院の静けさをかもし出している。石踏みの参道を進むと朽ち果てそうな門が侘びを形成している。静々と奥に進めばさほど広くない庭に山茶花が一本、利休好みに植えられている。 当院は南北時代、6代目・薩摩藩主島津氏久の菩提寺として創建されたもので、庭園は約800年ほど前、関白藤原忠通が御所の東御堂として創庭した。法然上人がこの地を訪れ、その行状絵巻に優美な寝殿造りの邸宅と池庭が描かれている。現在は月輪殿の滝跡の石組みだけが残っており、雅な時代を偲ばせている。
明治維新の際、西郷隆盛が勤王の僧月照(清水寺の住職で歌人)とともに境内の茶室採薪亭に隠れ住み維新回天をはかった。境内裏山・慧日山上に、鳥羽伏見の戦いから会津東征の戦歿者424柱の顕彰碑と西郷隆盛直筆の銘文碑がある。
当院後方には東山連峰につながり、水源清く奥深く、四季おりおりの野鳥たちが華麗な声を競い、初夏の頃は、夜蛙の声が静けさに低く響く。「東福寺かえる」の愛称で天然記念物に指定されている。清素閑寂、幽玄なる院庭に坐して心身洗うによきかな。
交通:京阪電鉄東福寺下車徒歩10分。
明治維新の際、西郷隆盛が勤王の僧月照(清水寺の住職で歌人)とともに境内の茶室採薪亭に隠れ住み維新回天をはかった。境内裏山・慧日山上に、鳥羽伏見の戦いから会津東征の戦歿者424柱の顕彰碑と西郷隆盛直筆の銘文碑がある。
当院後方には東山連峰につながり、水源清く奥深く、四季おりおりの野鳥たちが華麗な声を競い、初夏の頃は、夜蛙の声が静けさに低く響く。「東福寺かえる」の愛称で天然記念物に指定されている。清素閑寂、幽玄なる院庭に坐して心身洗うによきかな。
交通:京阪電鉄東福寺下車徒歩10分。