新しき年に入り、暖かな陽気が続いていたある日、京都に思いがけず雪が降り出した。そうだ、京都の雪景色を紹介しようと思い立ち、降る雪、積もる雪が似合うところは、と頭に浮かんだのがこの等持院であった。雪景色の撮影機材を車に積んで衣笠山の麓までやってきたものの、「はて、雪はいずこに…」、その気配さえなかった。
雪の等寺院を選んだのは、村田珠光や世阿弥らとともに茶道を興した、足利義政好みの藁葺の茶室「清漣亭」に降る雪を想像してのことだった。衣笠山を借景に、その横に竹林を配し、控え目な侘しいたたずまいを見せる茶室に積もる雪、この風景は義政ならずとも私も好きだ。
残念ながら雪景色を写真にすることはできなかった同院は、暦応4年(1341)、足利尊氏が夢窓国師に依頼し衣笠山の南麓に創建した。室町時代は義満の金閣寺、義政の銀閣寺と並ぶ足利時代の象徴的寺院であり、当院は禅宗10刹の筆頭に上げられており、足利15代・230余年の歴代将軍の菩提所となっている。歴代将軍の像が安置され、徳川家康像もある。庭園は夢窓国師作と伝えられる3大名園の1つである。心の字を象った幽邃の苑池・心字池、その池を囲む四季折々の花々、まさに「夢想」の心境である。
本堂は元和2年(1616)福島正則が妙心寺塔頭海福院から移築、広縁の心地よい鴬張りの音が一足ごとに心にしみる。
交通:市バス50系で、立命館大学前下車、徒歩10分。
雪の等寺院を選んだのは、村田珠光や世阿弥らとともに茶道を興した、足利義政好みの藁葺の茶室「清漣亭」に降る雪を想像してのことだった。衣笠山を借景に、その横に竹林を配し、控え目な侘しいたたずまいを見せる茶室に積もる雪、この風景は義政ならずとも私も好きだ。
残念ながら雪景色を写真にすることはできなかった同院は、暦応4年(1341)、足利尊氏が夢窓国師に依頼し衣笠山の南麓に創建した。室町時代は義満の金閣寺、義政の銀閣寺と並ぶ足利時代の象徴的寺院であり、当院は禅宗10刹の筆頭に上げられており、足利15代・230余年の歴代将軍の菩提所となっている。歴代将軍の像が安置され、徳川家康像もある。庭園は夢窓国師作と伝えられる3大名園の1つである。心の字を象った幽邃の苑池・心字池、その池を囲む四季折々の花々、まさに「夢想」の心境である。
本堂は元和2年(1616)福島正則が妙心寺塔頭海福院から移築、広縁の心地よい鴬張りの音が一足ごとに心にしみる。
交通:市バス50系で、立命館大学前下車、徒歩10分。