京都市内にもまだ故郷を偲ばせるのどかな田園地帯がある。嵯峨野、大原、花背、美山、加茂…、そして、ここ洛西の大原野もその一つ。
大原野の田園を小鳥のさえずりを聴きながら、のんびりと歩を進めて参道を登って行くと、額に汗が滲んでくる。健脚の人は歩いて登っていって欲しい。途中、竹細工の店、竹の子売りの露店などを覗きながら行くと、手ごろなハイキングを味わえる。
だが、かなりの道のりであるため、観光で訪ねる場合は車をお勧めする。
駐車場(いつの間にか有料となっていた)に車を止め、ムクゲの花香る小坂を上がると、荘厳な西山門跡の総門が出迎える。
当山は、11世紀の前半に源算上人が、この地に小堂を建て、自作の11面観音を安置したことに始まるが、建立間もない長元7年(1034)に後一条天皇から「良峯寺」の寺号と聖詠を賜って以来、歴代天皇の崇高篤く、中世には「西山宮」と称する門跡寺院となり50余りもの堂塔を有した大寺院となった。
しかし、応仁の乱(1467~72年)の際にことごとく焼失し、徳川5代将軍の母・桂昌院の援助によって再建された。
桂昌院は京都の八百屋仁右衛門の娘(表向きは二条家に仕えた本庄宗利の娘とされている)で、その名をお玉といった。幼少の頃、両親に連れられ、当山に参拝しており、桂昌院の献歌に「たらちねの 願いをこめし 寺なれば われも忘れじ 南無薬師仏」とある。三代将軍家光の側妾のお万の方の侍女となって江戸へ。秋野と名を変え、やがて家光の子を産(幼名・徳松)み、4代将軍家綱の没後、徳松こと 「綱吉」が将軍となった。
桂昌院は宝永2年(1705)79歳で没し、遺髪を当山に納め、桂昌院廟として祀ってある。
境内に入ると正面に観音堂、右手の階段を上がると、元和7年に再建された多宝塔があり、現存する最古のもので、重要文化財に指定されている。多宝塔の前に全長54mにおよぶ五葉松が枝を左右に大きく伸ばしている。というより、いた。3年ほど前、虫害により左半分をやむなく切り落としてしまったのだ。
樹齢600年という「遊龍の松」は国の天然記念物に指定され、桂昌院がお手植えしたもの。
5月から10月の第2日曜日には腰痛に利くとされる 「百草湯」に入ることができる。春の枝垂桜が美しく、99年春、JR東海の「そうだ 京都へ行こう」のキャンペーンポスターになった。春の桜、初夏のつつじ、牡丹に芍薬、そして谷間を埋め尽くす紫陽花。夏の百日紅、秋は絶景の紅葉、参道を覆う秋明菊も楽しめ、いまや花の寺としても名高くなっている。
良峯寺から善峯寺に変わったことを調べてみると、 「吾妻鏡」によると、源頼朝が鎌倉に鶴岡八幡宮に大塔を建立し、供養の導師を天台座主全玄に依頼したが、全玄は良峯寺の観性法橋が適任だとして辞去。観性法橋は、文治5年(1185)鎌倉に行き法要を務め上げた。この礼として頼朝は奈良の運慶仏師に28部衆金剛力士などを作らせ良峯寺に寄進した。
頼朝が征夷大将軍に就いた年、観性上人は天台座主に就任し、鳥羽上皇より「良峯寺」を「善峯寺」と改め、自筆の寺額を下賜し、官寺に列した。
所在地:京都市西京区大原野小塩町1372
交通:阪急京都線向日市阪急バス「善峯寺」下車徒歩8分
大原野の田園を小鳥のさえずりを聴きながら、のんびりと歩を進めて参道を登って行くと、額に汗が滲んでくる。健脚の人は歩いて登っていって欲しい。途中、竹細工の店、竹の子売りの露店などを覗きながら行くと、手ごろなハイキングを味わえる。
だが、かなりの道のりであるため、観光で訪ねる場合は車をお勧めする。
駐車場(いつの間にか有料となっていた)に車を止め、ムクゲの花香る小坂を上がると、荘厳な西山門跡の総門が出迎える。
当山は、11世紀の前半に源算上人が、この地に小堂を建て、自作の11面観音を安置したことに始まるが、建立間もない長元7年(1034)に後一条天皇から「良峯寺」の寺号と聖詠を賜って以来、歴代天皇の崇高篤く、中世には「西山宮」と称する門跡寺院となり50余りもの堂塔を有した大寺院となった。
しかし、応仁の乱(1467~72年)の際にことごとく焼失し、徳川5代将軍の母・桂昌院の援助によって再建された。
桂昌院は京都の八百屋仁右衛門の娘(表向きは二条家に仕えた本庄宗利の娘とされている)で、その名をお玉といった。幼少の頃、両親に連れられ、当山に参拝しており、桂昌院の献歌に「たらちねの 願いをこめし 寺なれば われも忘れじ 南無薬師仏」とある。三代将軍家光の側妾のお万の方の侍女となって江戸へ。秋野と名を変え、やがて家光の子を産(幼名・徳松)み、4代将軍家綱の没後、徳松こと 「綱吉」が将軍となった。
桂昌院は宝永2年(1705)79歳で没し、遺髪を当山に納め、桂昌院廟として祀ってある。
境内に入ると正面に観音堂、右手の階段を上がると、元和7年に再建された多宝塔があり、現存する最古のもので、重要文化財に指定されている。多宝塔の前に全長54mにおよぶ五葉松が枝を左右に大きく伸ばしている。というより、いた。3年ほど前、虫害により左半分をやむなく切り落としてしまったのだ。
樹齢600年という「遊龍の松」は国の天然記念物に指定され、桂昌院がお手植えしたもの。
5月から10月の第2日曜日には腰痛に利くとされる 「百草湯」に入ることができる。春の枝垂桜が美しく、99年春、JR東海の「そうだ 京都へ行こう」のキャンペーンポスターになった。春の桜、初夏のつつじ、牡丹に芍薬、そして谷間を埋め尽くす紫陽花。夏の百日紅、秋は絶景の紅葉、参道を覆う秋明菊も楽しめ、いまや花の寺としても名高くなっている。
良峯寺から善峯寺に変わったことを調べてみると、 「吾妻鏡」によると、源頼朝が鎌倉に鶴岡八幡宮に大塔を建立し、供養の導師を天台座主全玄に依頼したが、全玄は良峯寺の観性法橋が適任だとして辞去。観性法橋は、文治5年(1185)鎌倉に行き法要を務め上げた。この礼として頼朝は奈良の運慶仏師に28部衆金剛力士などを作らせ良峯寺に寄進した。
頼朝が征夷大将軍に就いた年、観性上人は天台座主に就任し、鳥羽上皇より「良峯寺」を「善峯寺」と改め、自筆の寺額を下賜し、官寺に列した。
所在地:京都市西京区大原野小塩町1372
交通:阪急京都線向日市阪急バス「善峯寺」下車徒歩8分
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