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「一力茶屋」(いちりきちゃや)

2008年02月06日 18時36分30秒 | 古都逍遥「京都篇」
「一力茶屋」(いちりきちゃや)
 「忠臣蔵」の大石内蔵助が遊んだお茶屋としてよく知られている「一力茶屋」は、もともと「万屋」と称しており、仮名手本忠臣蔵に登場し一躍その名が世にしられるようになったお茶屋。
 店名の「一力」という店の名は、維新前は「万屋」が屋号であったが、後に「万」の字を「一」と「力」に分け「一力亭」に変えたそうだが、その経緯は芝居の影響で変わってしまったという。
 今でも門の中の入り口には「万」の字の暖簾が架かっている。 「一力」だが、暖簾の文字は「万」となっている。
 幕末時代に至っても政治の場であった「一力茶屋」は、元治2年(1865)祇園に大火があったとき「一力茶屋」も被災し、その後に再建され100余年を経ている。

 3月20日の大石忌(大石内蔵助の命日)には、四条花見小路の角にあるこの「一力亭」で行われ、一力亭の仏壇には討ち入りそばや大石の好んだものが供えられる。馴染みの客を招いて、「深き心」を井上八千代師匠が舞い、芸舞妓3人が地唄「宿の栄」を舞うならわしになっており、芸妓・舞妓さんたちにより抹茶や手打ち蕎麦も振舞われる。

 仮名手本忠臣蔵では、大石内蔵助が遊興したのは、祇園一力茶屋になっていますが、実際は伏見撞木町萬屋(=ふしみしゅもくちょう よろずや、京阪墨染駅から徒歩5分、伏見税務署の近く)であったという。現在、萬屋の跡を示す石碑が建っている。

 8月1日は祇園で「八朔(はっさく)」という伝統行事がある。「八朔」は、花街の芸舞妓が、黒紋付き姿で芸事の師匠やお茶屋を挨拶して回る行事で、礼装の芸舞妓さんが数人ずつ連れ立って祇園の石畳を歩いて、一軒一軒のれんをくぐっては「おめでとうさんどす」と挨拶して回る。

 2月3日の節分の日、花街(かがい)では夜になると、「節分お化け」という行事が行われ、若い芸妓・舞妓が、グループで仮装してお座敷を回るが、一力亭の暖簾を急ぎ早にくぐる芸妓・舞妓をよく見かける。
 「白浪五人男」「越後獅子」など伝統的なものに扮するグループもあれば、最近ヒットした映画の主人公やその年話題になった有名人に変身したり、歌舞伎のまねをしたりと様々な工夫をこらしている。

 花見小路は四条通りを境にして、北側と南側では町並みの雰囲気が大きく異なり、北側はスナックやクラブなどが入居するテナントビルが建ち並び、 南側は角の一力亭を筆頭に竹矢来に格子作りの茶屋や料理屋が建ち並ぶ京都らしい風情の景観が連なっている。

 所在地:京都市東山区花見小路四条下ル。
 交通:京阪四条駅から南座を経て八坂神社の方へ徒歩5分。

 なお、「花見小路」の歴史については、既に掲載していますのでご参考に開いてみてください。

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