北杜夫さんが亡くなった。
数多い著作の中でも「夜と霧の隅で」、「楡家の人々」、「どくとるマンボウ航海記」あたりが特に有名だ。
躁鬱病で、躁の時は「どくとるマンボウ」シリーズなどのユーモア小説を書き、鬱の時は「夜と霧の隅で」などの純文学を書いたそうだ。
俺が一番好きなのは「どくとるマンボウ昆虫記」。
虫に対する愛情、興味が伝わってくる。
虫嫌いな人には是非読んでもらいたい。
最近、学生と話をしていると虫嫌いな人が圧倒的に多い。
虫は何を考えているか表情を見てもわからないので怖さがあるのかもしれないが、地球上にはたくさんの虫がいるので、嫌いじゃない方が良いに決まっている。
俺は特別好きではないが、嫌いでもない。
子供の頃はこんな道具があった。
これで昆虫を捕まえては赤と緑の液体を注射器で昆虫の体に注入し、標本を作ったもんだ。
まず虫を捕まえると赤の毒液を注射し、その後、緑の防腐剤を注射する。
今思えば虫が可哀想だが、なんとか注射をしたいという子供の欲望は、虫が気持ち悪いという気持ちを上回り、虫捕りで虫を捕まえては二色の液体を虫に注入した。
ある時期から注射器が危ないからという理由だろう、販売されなくなった(覚せい剤を蔓延させないためという説もある)。
これが子供たちの虫嫌いを生み、ひいては理科離れに繋がっているんだろうと思う。
枕草子にはこんなのもある。
虫はすずむし。ひぐらし。蝶。まつむし。きりぎりす。はたおり。われから。ひを虫。ほたる。
みのむし、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしききぬ引き着せて、
「いま、秋風ふかむをりぞ来むとする。待てよ。」
といひおきて、逃げて往にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、
「ちちよ、ちちよ」
とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
俺流に訳す。
虫の中で風情があるのは、松虫。ひぐらし。蝶。鈴虫。コオロギ。きりぎりす。われから。かげろう。蛍。
みの虫はなんだか切ない気持ちになってくる虫だ。鬼が生んだので、鬼は「親に似て恐ろしい気性があるだろう」と思い、みすぼらしい着物を着せて、
「秋風が吹いたら迎えに来るよ。待っていなさい。」
と言って逃げてしまった。そんなことも知らないで、秋風の吹く頃になると、
「お父さん、お父さん」と弱々しく鳴く。なんともいじらしい。
訳者注:今日の福島民友にも載ったが、平安時代のすずむしと松虫は、今の逆だった。
きりぎりすは今のコオロギ。はたおりがきりぎりす。
われからは、海にいる節足動物の総称。
旧暦の八月は、おおむね新暦の九月。
みの虫は実際は鳴かない。「チチヨ、チチヨ」と鳴くのはカネタタキ。
昔の人は虫とも共存し、虫を楽しんだのだなと思う。
現代人は心の余裕が無くなったんだろうか。
そういえば子供の頃、「みの虫」を捕まえて「みの」を全部はがし、いろんな色の折り紙を細かくちぎったものと、裸になった「みの虫」を箱の中に入れたことがあった。しばらくするときれいな色の「カラフルみの虫」が出来上がる。