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見えないものを見る 感じたことを写真と文章でつづる暮らしと自然のフォト日記

もの食う人びと

2008-02-21 18:18:20 | コラム

辺見庸(へんみよう)著
「もの食う人びと」
写真は文庫本
コミックも出ている

背表紙に記載されている
船戸与一氏の解説文を抜粋

人は何をどう食べているのか 
どれほど食えないのか 
飽食の国に苛立ち 
異境へと旅立った著者は 
噛み しゃぶる音をたぐり
紛争と飢餓線上の 風景に入り込み 
ダッカの残飯から チェルノブイリの放射能汚染スープまで 
食って 食って 食いまくる 

人びととの 奇烈な「食」の交わりなしには果てしえなかった 
ルポルタージュの豊潤にして劇的な革命 
「食」の黙示録・・・・

あとがきで辺見庸は 
飽食の時代が あたかもそのつけが回ってくるように 
空腹の時代に転じるのは そう果てしなく遠い先のことではないのではないか 
と記している

中国からの食材なしでは 生活できない社会に誰がした・・ 実は私がしたのだ
安いものばかり買いあさっていた 私がしたのだ 

クリックするとまた友達が減ってしまいますのでなるべくしないでください


貴方もしたのだ 貴方にも責任はあるのだ


今日の夕空 昨夜のHそ木

2008-01-30 18:38:28 | コラム

今日は3時頃までは良い天気だった 
その後曇ってきたが何とか持ちこたえて明るくなった
最近休日は晴れるが 平日はっきりしない天気が続く 
まるで私の気持ちのようだ

それはどうでもいいことだが どうでもいいついでに 
最近スポーツが面白い

再試合のハンドボールは日本女子は韓国に負けた 
ハンドボールだけに手玉に取られた感じだった
今夜の男子はがんばってもらいたい 勝てば20年ぶりオリンピックだ

又今夜は岡田監督のサッカーもある オシムも観戦するらしい
オシムだけに 惜しむ結果にならなければ良いが

日曜日のマラソン福士も感動したが千秋楽の相撲も迫力があった
初日から朝青龍がいつ負けるかと思っていたが 以外に強かった
結局白鳳が優勝したが 両者横綱の意地をかけて戦った相撲は見ごたえがあった 

その朝青龍が昨夜テレビに出ていた 見なければよかった 
あのHそ木数子が 「朝青龍は勝負に負けて相撲に勝った」と
わけのわからないことを言った 
「2場所休場している間土俵を守った白鳳を立てた」などとほざいた
相撲もマラソンも一生懸命さが伝わり感動したのに 
水を差すようなことを聞きたくなかった
Hそ木はもう直ぐテレビから消えるのだろう


告別式

2008-01-09 19:09:39 | コラム


葬式のことを今日も書く 葬式といいっても一部始終悲しんでいるわけでもない
私は自分の父親の葬式のときに「葬式ぐらい楽しくやろう」といった

僧侶は私の言葉に契合しながら言葉を付け加えた「葬式もです」と
まさにその通りだ葬式も楽しくやるのだ

私は思いつきで喋ったわけでもない

平成2年1月7日、肝臓ガンで亡くなった臨済宗方広寺派管長、荒金天倫氏の音楽葬が行なわれた。「葬儀を行なわず、私を心の師として慕ってくれた故石原裕次郎氏の『粋な別れ』などの曲を流して、威勢よくユーモアたっぷりにやってほしい」との故人の遺言に従い、石原プロが企画進行を受け持った「音楽葬」が行なわれた。
  読経などの儀式は最小限に抑え、生の弦楽4重奏とコーラスによる裕次郎メロディーが、会場である三生院に流れた。(写し)

私はこの葬儀に参列した そのときは喪主も派手な着物を着ていた 
そして 最後には石原軍団の舘ひろしが万歳三唱をした

ドラマではない本当の話だ このときから考えを変えた
悲しんでいたのでは死んだ人は浮かばれないと

たまたま今回の葬式は天理教と言う宗教だった
仏教の通夜に当るのが「みたまうつし」これが告別式よりも一番重要視されている
親しい人が亡くなったときは告別式よりも「みたまうつし」に参列するほうが良いという
人間の身体を神様から預かったものそれを返す儀式のようだ 
故人は仏でなく神になるのだ

3年前叔父さんの葬儀も天理教だったが 作法が違うことしか覚えがない
線香の代わりに 玉串奉献がある 礼拝は二礼四拍手一礼四拍手一礼  
これられをすでに忘れていたが 式の前に詳しく説明があったので助かった 

斎場でも礼拝は行われたここでは音の出ないように軽く叩くと説明があったが 
遅れてきたS本啓一さんは 思い切り叩いて 一人だけ大きな音がしたので苦笑いしていた

どの葬儀でも 普段会わない親戚や 異業者などとも会話する機会が生まれる
これはとむらい外交で大いに歓迎する 故人が取持つ縁もあるのだ
私は今回 故人の関連会社の取締役に海外進出の話など楽しく聞かせてもらった

曲が流れるので注意↓
http://www1.ocn.ne.jp/~naka222/index2000297.html


釈迦内柩唄 その2

2007-11-13 22:38:41 | コラム

写真は 水上勉著 釈迦内柩唄の本
まだ読んだことがないが 
その演劇のチケットを販売していると
先日公開した
ボチボチと売れ出してきているようだ
わたしも昨日4枚今日5枚と買っていただいている

この演劇は 隣の市でも上演される
その後援には市の仏教会や教育委員会の名がある

私の町では共催に お寺さん
後援には商工会や観光協会が連ねているが
教育委員会は名がない 

なぜだろうと思ったが どうも教育委員会が あやうきに近寄らずの姿勢の様だ

と言うのも この前 小林良正尼僧の講演を教育委員会が主催した
そのとき 仏教徒を主催して講演させることに対して苦情が来たらしい
それで お寺が共催したからと教育委員会は降りたらしい

何が悪いのか私にはわからない 私の家は曹洞宗だが 
協会にも行き モスクにも行く 盆もクリスマスも楽しむ 結婚式は神前だ

この演劇は よそでは共産党の集いでも公演している なのに
私の町では 自民党の議員が券を売っている 気持ちが大きいのだ 
人は何を見ても自由だ それをみて自分の価値観で どうとらえても良いのだ

以前 (Sお菓子)の教育委員会が後援した講座に 
ヨットスクールの戸塚宏の講演会を企画した 
教育委員会は 中止を要請してきた しかし そのときの主催者は
そんなことをすれば 後に大変になるのは教育委員会の方だと跳ね除けた
そんなことを思い出した

「釈迦内柩唄」の魅力を元三重県教育委員会教育長 田川敏夫氏が語っている

背負っているものが 辛く重く耐え難いものであればあるほどそれを明るく
時にはユーモアでもって表す 人はそこに真実を見る 
本当の心の叫びをみる そして 魂をゆさぶられ 涙する

人間は皆 平等 死ねば灰になる  その灰がコスモス畑にまかれ 
一人一人の 魂となって美しい花を咲かせる


スポーツでなくても良い

2007-10-10 22:08:00 | コラム

高校の吹奏楽の指導者が生徒に呼吸を教えるために
腹を触ってセクハラで訴えられたことがある 
名高い指揮者だったが
もう何年も経つが それ以来公衆の面前出でてこない

しかしスポーツ少年団は バットで小突くことなど
日常茶番だ またそれが良しとされている 
それに耐えないようでは根性がないと
親まで暗示にかけている

監督が子どもに罵声を浴びせる 
そんな姿は見せつけられて 気持ちがよくない
人権を無視した言葉のほうがセクハラだ

孫の野球を見に行ったおじいさんが 
あんなに孫がけなされるなら もう二度と試合は見たくないと 言ったそうだ
歯を食いしばって 我慢して それを乗り越え
試合に勝ち 勇気と自信が備わるとでも言うのだろう

そんなことはわかっているが それは己から湧き出てこその話で
いやいや我慢しての行動では 将来のためになるようなことは皆無だ

周りがやるからうちの子もやらせるような気持ちで スポーツなどやめたほうが良い
虫の研究でも 草花の研究でも 星の研究でも 好きなことをやらせたほうが良いのだ

ある親方が 「現役時代 稽古が一番いやだった」といった
しかし 自分で望んで入った世界だからこそ続けられたそうだ

今騒がれている相撲こそが公平なスポーツだという 野球も サッカーも 監督が選手を決める
相撲は全員取り組みが出来る そういった意味では努力のしがいのあるスポーツだ
しかしこれもすべて 自らが希望するということが大事だ 
「泣かぬなら それもまた良し ホトトギス」