頒布品である
東京谷中 喜久月
「あを梅」
店主が70歳と高齢になり
近々店をたたむという
ならばと思い購入した
白アンを 牛皮で包んだもの
青い梅の色がきれいだ
それなりにおいしかったが 家族はあまり喜ばない
ちょうど家族がそろうからとの理由付けして
サークルKで パフェーを買っていたのだ
値段はどちらもさほど変わらない
となると やはりパフェーに手が伸びる
のだろう
質より量を好む我が家
こういう人が多いと
職人は育たない
89ショット
頒布品である
東京谷中 喜久月
「あを梅」
店主が70歳と高齢になり
近々店をたたむという
ならばと思い購入した
白アンを 牛皮で包んだもの
青い梅の色がきれいだ
それなりにおいしかったが 家族はあまり喜ばない
ちょうど家族がそろうからとの理由付けして
サークルKで パフェーを買っていたのだ
値段はどちらもさほど変わらない
となると やはりパフェーに手が伸びる
のだろう
質より量を好む我が家
こういう人が多いと
職人は育たない
89ショット
「司馬先生は 自分の作品のドラマは見なかった」
と語ってくれたのは 北山章之助さん
北山さんはNHKプロデューサー時代に
司馬遼太郎と深い交流がある
「司馬遼太郎と武士道」という講義を聴いた
司馬の作品に女性は余り登場しない 男の物語が多い
しかしテレビドラマ化するには若い女性タレントを
起用しないと視聴率が稼げない
そのために脚本家が女性の活躍場面を取り入れる
原作とはかけ離れていく
ドラマの許可をすればその時点で自分の作品ではなくなる
それを見るのがいやで 司馬遼太郎は自分の作品をドラマ化したものを見ないそうだ
司馬遼太郎は失われた武士道精神をなげきそれを文学を通じて主張してきた
しかし作品のなかには武士道という言葉は用いなかった それは
時代とともに言葉の意味が変わって行くからだという
司馬は今の世の中を予測していた 経済大国といわれ暮らしは豊かになった
しかしその代価として道徳心や道義心を失った それこそが日本人が祖先から
受け継いできた 貴重な遺産だった それがなくなってきたことを 危ぶみ恐れていた
また北山さんは冒頭 NHK職員が勤務時間に株取引をしたことに触れ
我々の後輩に対する教育が悪かった もっとも遺憾なことだとわびた
また今の政治家は 政治ビジネスになっていると批判した
「私に奉ぜず公に奉ずる」ような人物がいなくなったということだろう
司馬遼太郎の作品になるような政治家の出現を期待する
回転寿司のガリ桶に刺さっている
ピンセットのようなもの トングというそうです
パン屋でパンを挟むのもトング
バイキングでサラダをつかむのもトング
バーべQで使うのもトング
氷をつかむのもトング
オキビをつかむ火バサミもトング
ゴミ広いにも使います
でも脱脂綿をつかんだり模型作るとき
小細工に使うのはピンセット
知らないのは私だけだったかもしれません
お皿の色を確めながら手元に取る回転寿司 でもガリは食べほうだい
空いたお皿にしょうがをいっぱい盛りつけ これをつまみに飲んだりする
そのトング もう少し開いていないとガリが少ししか取れない 両手で開いてから使う 私
きのうハチコをもらって筍のことを書くつもりが竹の話になってしまった
それが今日は藪になった 荒れほうだいの竹やぶ
大水でも出れば藪ごとさらわれて 下流に被害が出かねない
中国では建設現場の足場を竹で組んでいたが日本ではそれに使用することはない
洗濯竿にも使用しない 旗を立てるポールも竹ではない
竹は売れなくなった 利益に結びつかない竹やぶなど誰も手入しないのだ
そんな中 Fえだ市のSねさんは賢い 放置竹を伐採し其れを粉砕して売り出した
この粉末が土壌改良剤として重宝がられ各地から注文が相次いだ
脱臭効果もあると 畜産業者も目をつけた 使い道のなくなった竹も考え方で生かせる
使う用途は違っても竹の消費があれば 荒れほうだいの竹やぶはなくなる 災害も減る
竹材として使用するには 秋に切ったほうが水分を吸っていないので 腐らず長持ちする
月の満ち欠けも関係ある 新月の方が良い満月は水を吸い上げるのでだめ
これは木も同じことだと思う
子供のころ 竹の皮を拾った なんに使うのかわからなかった
草履でも作ったのだろうか 売って小遣いにした
今も竹の皮は羊羹包むか版画の馬簾作るぐらいにしか使い道を知らない
しかも其れが日本産かは定かでない
お茶ぼっこ さんのブログに
淡竹(はちく)が載っていた
孟宗竹の筍が終わる頃淡竹が出る
どちらかと言うと こちらの方が美味しい
それが家にも届いた
ばあさんはこれを「ハチコ」と言う
淡竹(はちく)と筍(たけのこ)をあわせて
若者のように短縮語で言っているのだろうか
それはともかく明日は口にすることが出来そうだ
私は 淡竹も真竹も区別がつかない 写真のように竹皮に斑点がないのは淡竹だそうだが
真竹は苦くて食べれないようだ
お茶ぼっこさんは得意のジョークで淡竹と破竹を結びつけてていた
竹は初めの節が割れれば 後はその勢いで割れる それで破竹の勢いと言うそうだ
初めの難関を打破すれば後は事がスムーズに進むたとえにつかわれる
ところで成長した竹は末(うら)から割ると全部が均等に割れる
ちなみに木を割るには根本から割る 「竹はうらから木は根から」