令和6年1月6日の朝を能登半島穴水町震源の震度5強の地震で目を覚めさせられました。
1月3日朝9時からスタートした父母を私の住む金沢へ連れて来た
1月4日朝7時までの22時間の疲労が未だ残り
からだじゅうの骨や筋肉が軋んでいます。
そんな中
つい2日~3日前に目の当たりにした自然の力
私たち人間には克服できないほどの威力を持っていることを痛感させられています。
穴水町の惨状と交通渋滞
穴水駅にあと少しという所で渋滞にはまってしまった私のクルマ
穴水町は中心地を含めある程度の土地勘を持つ私はこの混雑を迂回しようと
町の中心地を抜けて実家へ一直線に到着できる珠洲道路へ入ろうとしました。
混雑する車列を左折し待ちの中心地に入り
私が知っている穴水町の中心地が大きく崩れているのを見ながら
直進すると橋の手前で通行止めです。
橋が隆起しているというより周囲が地盤沈下で
橋との境目がオフロード車でも無理なくらいの段差でした。
個々をまっすぐに走れればと思いながらも左折し
更に旧街中へ入って行くと
あの道もこの道も全て通行止めにならざるを得ないほど
家々ががれきと化し直進を許してくれませんでした。
その中でも次々に鳴り響く消防車と救急車のサイレンの音
近くの避難所でしょうか、たくさんの救急車両が駆けつけていました。
さすがにもう前進は無理と判断し
元の大混雑中の道路へ逆戻りし、更に道路は混雑の度を増しているように感じました。
まさか、これが通常なら20分程度で行ける距離を
4時間以上かけて実家へ到着する羽目になるとは思いもよりませんでした。
自衛隊、消防、救急従事者の方々への感謝の念
私たち一般車両が救急や復旧の邪魔になっていることを何度も感じました。
何度も何度も後ろから前から救急車量や自衛隊の車両が
私たち能登へ向かう車両
能登から金沢方面へ向かう車両に行く手を阻まれ立ち往生していました。
時にはあまりにも身勝手な自動車の運転を見るにつけ
社外へ出て、その救急の邪魔をしている車両の運転手を促し
道路わきへ車両を移動させるなどもしました。
自分が一分でも早く目的地に着きたい気持ちはわかりますが
道路の真ん中や交差点を緊急車両や復旧車両が通れるようにすることは
最低の運転マナーと思いますが
以外にベテランドライバーが平気で邪魔をしているのには
「お前らは運転免許を返納しろ!!」と
思わず汚い言葉が口から漏れ出るほどでした。
そんな渋滞をしている中で感謝の念で涙が流れたのが
群馬県から応援に来てくれていた消防車や救急車の車列です。
5台
いや10台
いやいや30台
いやいや50台、60台
正確には数えられませんでしたが
私にはその数が100台にも上るのではないかと思うほど
渋滞している私たち一般車両の横を隊列を組んで通って行きました。
「ありがたい!本当にありがたい!」
感謝の念と感動が私の頬を流れていました。
「群馬県に何かがあったらどうするんだろうか?」と心配になるくらいたくさんの緊急車両が私たち石川県民のために来てくださっていました。
その後も
京都府や大阪府、埼玉県
遠くは福岡県の緊急車両
自衛隊の車はナンバーからはどこの所属かはわかりませんでしたが
多くの物資を積んで横を通定ってくれました。
そう言えば、途中私のクルマを結果として先導してくれていたのも
品川ナンバーの警視庁のプリウスでした。
日本国民で良かった
職業柄思ったわけではないと思いますが
税金って有り難い
日本の国って有り難い
日本の国民って有り難い
何度も何度も私の口からこの言葉が漏れて出ました。
「もっともっと税金を払おう!」
「もっともっと日本国民であることに誇りを持とう!」
そんな気持ちになりました。
渋滞の原因は一般車両の多さと
道路上で行く手を遮る被災倒壊家屋
地すべり、がけ崩れ、陥没、隆起の連続
漸く珠洲道路へ入る交差点が見えるところまで来たときは
既に周囲が暗くなってから何時間立っていたでしょうか?
その交差点周辺がおびただしい数の赤色灯
そして、珠洲道路の閉鎖
警備中の警察官にう回路を尋ねると
「輪島方面へ迂回してください」と申し訳なさそうに教えてくれました。
輪島方面と言えば
全国的にも有名だった朝市で賑わっていた場所です。
能登観光の中心地と言っても過言ではありません。
そして、その朝市通りの近隣約200戸が全焼した地域でもあります。
そちらへ迂回してくれとの言葉に凹みましたが
実家まであと20数キロのところまで来たのに引き返すという選択はありませんでした。
そして、まさかそこから長くて辛い旅路が待っているとは思いもよりませんでした。。。
生成AIを使わずに書くと書いている途中で
そう言えば、、、
こんなこともあったな。。。
と思いだしてしまうので、ついつい文章が長くなってしまいます。
このblogを書き始めて約40分が経過したので一旦書くのを中断したいと思います。
令和6年能登半島地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、
被災された地域の皆さまにはお見舞い申し上げます。
少しでも早い復旧と復興を心より願っております。
少しでも早い復旧と復興を心より願っております。