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『おくのほそ道』からフクシマへ、アウシュヴイッツへ

2012年12月10日 | 読書

受講していた「芭蕉『おくのほそ道』を読む」が、ついに結びの大垣に着いた。前期の2・3月と後期の10月~12月で延べ月数は、芭蕉が歩いた5か月と同じになる計算だが、こちらは週に1日の冷暖房が効いた教室でのこと。今と違い徒歩で山越えや親不知はじめいくつもの難所を通り、2400キロ・150日間の旅を終えた芭蕉。それほどの『おくのほそ道』の意味については、次回の最終回で教えてもらうことになっている。しかし、川上先生の講義は今回の一遍上人の話もそうだが、知識の拡がりが得られて次につながるものがある。遊女と出会う「市振」の章で話してもらった「飢えたるものの前で文学は可能か」(ジャンポール・サルトル)「アウシュヴイッツのあとで詩を書くことだけが野蛮なのか」(アドルノ)「フクシマの後で音楽が可能か」(坂本龍一)はじめ、数多くの言葉を心に留めた。

(引用資料は川上定雄講師作成の講義資料より)