副題にあるとおり、長きにわたった医療裁判の闘いの記録である。周囲も含めて心待ちにしていた出産が仮死状態で生まれ、脳に障害が残るとのむごい宣告。しかし不自然な医師の説明に疑問を抱き、陣痛促進剤のせいではないかと考えた両親。以降、さまざまな壁に孤軍奮闘しながら疑問が確信に。協力してくれる弁護士や医師に出会うことが出来て裁判を決意。生まれた子の24時間介護を続けながら提訴まで3年、さらに4年を超える歳月を経て勝訴的和解にたどりつく。具体的で詳細なレポートを読み終え、あらためて理解したのは<脳性まひの原因を究明し、それとの関係で医師の過失を立証する>という医療裁判のむずかしさ。①注意義務違反・過失の存否②因果関係の存否、刑事事件であれば警察・検察が行なう事柄に<当事者として主体的に関わり続け>なければならない。同じように医療事故で娘を亡くした友人もこの夏、裁判を起こしてこの難しさに立ち向かっている。<医者を訴えても、今さらとりもどすことはできない>が、無念の思いだけでなく真実を究明、同様の事故をこれ以上拡げないために。来年以降に予定される本格的な戦いの場には駆けつけるつもりだ。