都会の少年が夏になると訪れていたイタリア北部、モンテ・ローザ山麓。そこでの日々が今の大人に至るまで心の奥底に大きく占める。寡黙で山に厳しい父との関係、自然を好むものの父とは距離をおく母との生活、ぎこちない出会いから無二の友となる地元少年との交流。そうした回想が静かに、丁寧に描かれる。背景にはアルプスの山々や氷河・流れ下る川、山上の池、空に浮かぶ雲、そよぐ風、足元の草花、牧場の羊たち。移ろう四季の中で読み手がそこに佇んでいるような気持ちさえ覚える。時とともに成長してゆく主人公、登場人物との関係にも微妙な空気と変化、それでも変わらぬもの。格別に語られることはないが、聳える「山」の大きな存在。心揺さぶれながらたどり着いた終わりの一文。<人生にはときに帰れない山がある>にしばし考えさせられ、読後の余韻に浸った。なお、この作品は世界39の言語で翻訳されている国際的ベストセラーとのこと。日本語訳者のイタリア語読解の労もさることながら、居住しているという奥武蔵の自然風景との対話も随所に投影されているのではと感じた。そして、忘れかけていた10年前のスイス旅行の思い出。ツェルマットから登山電車で向かい、ゴルナーグラート駅を降りて眺めたマッターホルン、その反対側に雪のモンテ・ローザ山塊4634m。この向こう側が物語の舞台だったとは感慨深い。