激しい暴行の末に遺体となって発見された妻であり母でもあったひとりの女性の死。その家族の「警察のせいで殺された」「警察の怠慢のせいで」という思いと真相を追究した地方テレビ局記者の取材記録である。実家に金を要求してきた女が男らを操り、ターゲットを女性家族に変えて数年にわたり金を巻き上げてきた。背後にヤクザがいると信じ込ませたグループは死亡事件の数か月前からエスカレート。女性を連れ出して同居させ、生活費やホストクラブ費用の支払いを名目に脅す。危害の恐れを感じた家族が警察署に十数回も相談、訴えるも家族間の金銭トラブルとして応じることなかった。家に押しかけて来た際の110番通報で出動した警察官も無対応。金銭要求する3時間の音声テープにも文字起しの上に再提出し、どれが脅迫、恐喝、強要にあたるか付箋するようにとの発言。とんでもない警察官、警察署があったものだ。この間、被害届を受理して捜査を開始していれば激しい暴行も、それが死に至ることにはならなかった。事件後、遺族の求めに一部謝罪するも納得のいく説明は得られなかった。さらに、その一部謝罪さえも翻されて警察の対応に問題無しとされる。県警も同様の見解、県公安委員会も追認する。公安委員会のトップは県警の顧問契約している事務所所属の弁護士とのこと、さもありなんだ。ネット検索した佐賀県警HPには「県民のために寄り添い、守り続ける力になりたい。」とある。どう寄り添って、どう守ってきたのか。著者の記者は「あとがき」でこう記す。報道、警察、政治を生業とする人間が寄り添うとは「背負うこと」。<ただ耳を傾けるのではなく、時には肩を貸し、その重みを分け合い、共に歩む>ことだと。印税は遺された子どもたちへというこの本。タイトルの「すくえた命」は<「すくえたかもしれない」でも「すくえたはずの」でもない。「掬(すく)えた」の意味も込めてひらがなで「すくえた命」>と付けた著者の気持ちが最後まで届く。
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