この本を読むまではよく知らなかった「コーダ」という言葉。「Children of Deaf Adults」の頭文字(CODA)から取った<「耳が聴こえない、あるいは聴こえにくい親のもとで育った、聴こえる子どもたち」を意味する>。そのコーダ当事者の幼少期から現在に至る心の葛藤や周囲の眼差し、社会の差別、偏見に対して数多く綴り、問題提起する。例えば、聴こえない親への「通訳」として子ども時代に背負う役割。電話や来客への対応、役所や病院への付き添いなどだ。そのこと自体は嫌ではなかったが、大人の話が理解できない、うまく通訳できなかったことに自分を責めたこと。また、手話が上手でなかった著者はじめ、親とのコミュニケーションの取り方。「自分の耳も聞こえなければよかったのに」という複雑な思いを抱えるコーダも少なくないという。そして今の社会、不便さや不平等は子どもの頃に比べ解消しているものの<聴者の中に眠っている差別>の存在。安全性を担保できないとして乗り物や遊戯施設の利用制限が少なくない。進歩するテクノロジーの活用など図ろうとする前に<自分たちにかかる負担を想像して、諦めていないだろうか?>と問う。同様にサポートする製品開発の企業などにも当事者の声をもっと聴いてほしいとも。読み終えて「コーダ」の存在とともに、強く心に残った著者の言葉がある。障害への配慮に「優遇するのか」という反論を受けるが、「特別扱い」を願っているのではなく、<「同じように生きていきたい」という公平性>であり、<他の人々が当たり前のように利用できているものを同じように利用したいと言っているだけ><人として生きる上での「権利の尊重」でしかない>と。しっかりと耳に残したい。
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