前回スピーカーケーブルのソケット等の部分をピカールで清掃したが、以前購入した和光テクニカル(株)のチタン オーディオ オイル を探した、このオイルの特徴はよく磨き後に接続端子は綺麗なようでも、酸化皮膜がいつの間にか出来てしまい接触抵抗が増えるので、以前は此のオイルを塗っていました物臭故置き忘れしていた様である。
今回テストを含み同様な状態になるかを確かめる意味も含め接点回復剤の変わりにチタン オーディオ オイル を使用したのである。兎に角このオーディオ関係に関する部品並びにメンテナンス器具についてはオカルト的な事も多いのだが、少しても音質向上するのであれば、しかも安価に出来る商品は試したくもなる。
筆者の接続ケーブルの金具はロジウムメッキ品が多く使用するが、音質的にはエッジの効いた音が特徴ですが、金メッキとくらべて効果がピーキーで使い所の難しいマテリアルでもありますがスピーカーユニットが古いタイプを使用するには特に高い音については、金メッキより具合良く聴けけましたのでロジウムメッキの接続金具を使っています。
勿論今回はパワーアンプ等の真空管のソケット部分並びにRCAケーブル部分も、よく磨きチタン オーディオ オイルを綿棒で薄く塗布してセットした、と言うのは前回取り付け後より1日経過後が音質は音源に近付いた様に感じたので、注意深く接続部分を点検しながら修復した、労力で済ませるアップグレードは貧困老人でも出来る事である。
朝から接続部分を丁重に磨きオーディオ オイルを塗布したが既に3時間以上経過し昼食になってしまった。
簡便な昼食後の珈琲を飲みながら、YouTube配信を見て驚くはフジテレビは東京の表参道駅近くに地獄絵図をモチーフにした巨大な看板を掲示しましたそうだ。
正月早々この看板には、閻魔や鬼、罪人などが描かれており、テレビがお隣(韓国)の地獄でも視聴できるというコンセプトでした。しかし、この看板のデザインはその悪趣味さや韓国の民族衣装を思わせる要素から、ネット上で大いに批判されました。
考え様には今フジテレビが非難を浴びる(元SMAPの中居正広)制裁図の様に思えるのは筆者だけなのであろうか?勿論民法放送局ではあるが、それ以前に公共の電波を使い報道しているキー局としての立場は如何なものであろう、一刻も早い解体が必要であろう。まあフジテレビ以外の局も同様だはあるが、HNK含めテレビ局は全て解体で正解であろう。全く自虐的な図柄でもある。
この様な有様では、国民はマスコミから益々逃げ出すのであろう、日本国民もまともな報道は信用しなくなる事は恐ろしい事である。
《インヴェンション》と《シンフォニア》という2つの曲集は・・・バッハが序文に明記しているように・・・「正しい手引き」という教育的目的で成立した。
J.S.バッハの『2声のインヴェンションと3声のシンフォニア』は、難しいバッハの曲の中でも比較的初心者向けということで、ピアノを習っている人が必ず挑戦する曲です。そう様な事もあり基本は大切でもあり、2声のインヴェンションも好きでもあり最近の日課のように聴き初めに流すことが多い。今も初心者の練習に使われるこの曲を、息子の教育のために作りました。1720年、長男フリーデマンが9歳になった頃から、5、6年かけて1冊の楽譜帳を編んでいったのですが、それが『フリーデマンのためのクラヴィーア小曲集』です。
そう様な背景も伴うこの曲を筆者は曲を聴く前に午後から早速試聴したが、メンテナンス以降と比べ音源が近付いた印象が強い、最近は音楽の聴き始めはJ.S.バッハ:2声のインヴェンションを流してからたの曲に進む事が日課の様になっている。粗毎日の日課言え全曲は聴かない事が多いが、気分に合わせピアノ演奏とチェンバロ演奏と交互に楽しむ場合が多い。
今回は先ずはチェンバロ演奏から述べます。筆者が思うに現代のバロック音楽の愛好家はメンデルスゾーンとワンダ・ランドフスカに感謝しないといけない、 驚くべきことに音源は残されている。 この演奏が後世のチェンバロ奏者の源だと思うと感慨深い。
ワンダ・ランドフスカ(Wanda Landowska、1879-1959)は、ポーランド出身のチェンバロ奏者、ピアニスト。ランドフスカは4歳のころからピアノを始め、ワルシャワ音楽院に進学しピアノの勉強を続け、13歳の時にバッハの作品を連ねたリサイタルでデビューした。
後にチェンバロに関心を持つようになり、やがてチェンバロの復活と普及に力を注ぐことになる。24歳になった1903年にチェンバリストとしてデビュー。1904年にはチェンバロによるバッハ演奏会を開き、以後チェンバロでのバッハ演奏のスペシャリストとして名を挙げることとなる。まさに忘れられた楽器となっていたチェンバロを20世紀に復活させた功労者である。
ドイツ軍による強奪によりアメリカに疎開する、ランドフスカとレストウは、1941年12月7日にアメリカに到着しますが、移民受付のエリス島には、当時、すでに数千人の日本人が抑留されており、座る場所を探すのも困難な状態で2日間が経過。しかし到着の遅れを心配したニューヨークの知人が関係者たちの署名を集めて当局に連絡したために手続きが開始、煩雑な審議と、さらに1人500ドルの保証金を預けることでようやく入国が許可され、ニューヨークに居を構えることとなります。
1942年、ランドフスカは、1年半に及ぶ逃避行の疲れも感じさせない勢いで演奏に復帰、入国2か月後の2月21日にはニューヨークのタウン・ホールでバッハのゴルトベルク変奏曲でリサイタルを開き、作曲家で批評家のヴァージル・トムソンが激賞するなど大きな成功を収めます。
ランドフスカのソフトはいろいろ多岐に渡り多くありますが、筆者が思うは此のワンダ・ランドフスカの芸術(24CD)のセットで粗全て賄える様である。
この24枚組には、1923年10月29日(44歳)、ラッパ吹込みのモーツァルト「トルコ行進曲」から1959年(80歳)に亡くなる直前に録られたバッハの「3声のインヴェンション」まで、彼女の録音を36年間にわたって幅広く収めており、戦前のヨーロッパでのセッション録音や、戦中戦後のアメリカでのセッション録音とライヴ録音により、彼女の芸術にとことん浸る事が出来ました。
1954年、ニューヨークでラスト・リサイタル。その後も亡くなる半年前までレコーディングや教育活動などは継続。同年、RCAビクターの平均律クラヴィア曲集第2巻の録音を完成。2声のインヴェンションとシンフォニアを録音とある。
[CD20]
1.バッハ 15の2声のインヴェンション BWV 772-786
Recorded on 1954-1955
2.15の3声のインヴェンション(シンフォニア) BWV 787-801
Recorded on 1958-1959
3.カプリッチョ「最愛の兄の旅立に寄せて」 BWV 992
ecorded on 11 & 12 September 1957
4.パルティータ第2番 ハ短調 BWV 826
Recorded on 4 &5 February 1957
5.幻想曲 ハ短調 BWV 919
Recorded on 2 May 1946
当時忘れられていた楽器チェンバロ、を蘇生させたランドフスカのバッハ・アルバム。60歳代後半から80歳にかけての録音。ここに聴くチェンバロの音色は、67年前の演奏で当時はモノーラルで録音機材も悪く音質は悪くメタリックで奇妙な感じがするが、それでもランドフスカの演奏は、活き活きとしていて未だ新鮮に聴こえる。以前と比べ聞き取りやすく感じる、この程度に鳴れば充分堪能できると思います。
続いてピアノ演奏では、ドイツの女流ピアニスト、ディナ・ウゴルスカヤ(Dina Ugorskaja)2019年9月17日、がんで亡くなった。46歳だった。父親はピアニストのアナトール・ウゴルスキ。母親のマヤ・エリクはシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》のソビエト初演で朗読を担当した音楽学者。1973年、父親が活動していたソビエト時代のレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)で生まれた。ウゴルスキは1982年から1990年までレニングラード音楽院の教授を務めた。父親からピアノの手ほどきを受けた後、1980年からレニングラード音楽院に所属する特別音楽学校で学んだ。7歳でレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団フィルと共演して注目を集めた。しかし、1980年後半からの体制改革運動「ペレストロイカ」の流れの中でソビエトでは反ユダヤ主義的な動きが表面化。脅威がウゴルスキと家族に及んできたことから、1990年に一家でドイツ・ベルリンに亡命した。
亡命後、ハンス・アイスラー音楽大学に進み、その後、デトモルト音楽大学へ。そのまま大学に残り、2002年から2007年まで講師を務めた。その後、ソロ活動のかたわら、2016/17シーズンからウィーン国立音楽演劇大学で、亡くなるまでピアノ科の教授を務めていた。
それと後一人はディーナ・ウゴルスカヤ(P)J.S.バッハ:2声のインヴェンション、ショパン:24の前奏曲を交互に聴く、このアルバムの特徴はショパンの演奏もあり随分楽しめる事間違い無い。
《曲目》
J.S.バッハ:2声のインヴェンション BWV.772-786
J.S.バッハ:2声のインヴェンション BWV.772-786
https://www.youtube.com/watch?v=rO-8gAjE3Pc
ショパン:24の前奏曲 Op.28
《演奏》
ディーナ・ウゴルスカヤ(ピアノ)
使用楽器:ベヒシュタイン D-280
《録音》
2004年3月
デトモルト(ドイツ)
ショパン:24の前奏曲 Op.28
《演奏》
ディーナ・ウゴルスカヤ(ピアノ)
使用楽器:ベヒシュタイン D-280
《録音》
2004年3月
デトモルト(ドイツ)
Bach & Chopin
Dina Ugorskaja
Dina Ugorskaja
バッハのインヴェンションとショパンのプレリュードを組み合わせた稀少盤がC'Aviからリリース!
ロシアの名ピアニスト、アナトール・ウゴルスキの娘であり、自身も国際的なコンサート・ピアニストとして活動したディーナ・ウゴルスカヤ。
バッハのインヴェンションは、残念ながら未だ単なる練習曲と見なされていますが、特に2声のインヴェンションは信じられないほど洗練された豊富なアイディアのおかげで、ウゴルスカヤのことを子どものころからずっと魅了していたといいます。そして対照的に、音楽性と技術の両面で、ピアノ音楽でもっとも挑戦的な曲集の1つであるショパンのプレリュード。その深い感受性と冷静なパフォーマンスから、「ピアノの哲学者(philosopher at the piano)」と呼ばれたウゴルスカヤが、バッハの率直さとショパンの複雑さを見事に対比させた名盤の1つです。
此の様なコメントも目を引きました(1959年に彼女が亡くなったとき、RCAビクターが追悼アルバムを出し、私は彼女はチェンバロの女神であり、一人でチェンバロへの関心を復活させ、それを主流の楽器にした女性です。彼女が終わったところで、ラルフ・カークトリック、シルビア・マーロウ、その他の数名がランドフスカに感化され、彼女の足跡をたどっていましたが、ランドフスカはエベレスト、他の山はブルーリッジ山脈程度と言われ、ほぼ常識でした。)
何年も変わったのは、ランドフスカの演奏や素晴らしいレコード(不思議なことに、どれもステレオではなかった!)ではなく、クラシック音楽業界のチェンバロに対する姿勢だった。奏者の一部)が、ライプツィヒにあるヘルムート・ヴァルヒャが自分の小さなゼイゼイ音のオルガンでバッハの曲を演奏していることを賞賛していた時代に、私たち、ランドフスカが使っていたのは劣化した楽器、つまりグランドピアノのように作られた重いフレームのチェンバロで、移動中に視察彼女の第二次大戦前のバッハとスカルラッティの録音を絶賛したBHハギンのような見解家でさえ、監視のプレイエルでの彼女の「無意味な反省音」に苦悶の不満を漏らした。
クープランとバッハの時代には確かに 8 フィートと 12 フィートの巨大なフランス製のチェンバロがあり、バッハ自身もライプツィヒの外へ時々外出した際にこれらの楽器のいくつかを(喜んで) 演奏していたと言われる。ブラボー!
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