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食べたい


記憶から夏消がされて冬曇り


「食べたい、食べたい」

 カレーが食べたい。
 食べたくて、食べたくて(恋しくて、恋しくて、みたない感じだ)、いま全身、香辛料の匂いに包まれております。
 ありませんか? 急に「○○○○が食べたいぜ~」、女性なら「○○○○が食べたいわ」となるときって。だれにでもありますよね(うなずいてください)。
 ワタクシ本日、カレーを食べたいです。先日も食べたのですが、「いきなりカレーモード」に入っちゃいました。

 こうなったらつくるしかないです。今夜予定していた「カキフライ」をやめて、急遽「カキフライカレー」に変更ということに。グレードアップではありませんか。
 「いや、わたしは素直にカキフライを楽しみたかった」。そういう方もいるでしょうけれど、そうした大衆の声を聴くような政治家はいません(なんで政治家がでてくる?)。
 庶民の意見を無視して、数の論理でやりたい放題して「超・キモチイイ」と叫んで、権力を使いまくって、忖度を強要しまくって、平気でウソをついて、バカ高いものを買わされて最後は捨てられて、世界に笑われて・・・、え、あの人のこと? いえ、いえ、実在人物ではありません。空想であり妄想であります。


※宙に浮くチャーハン?

 なんの話だった? そうそう、カレーだ。カレーを食べたいと言っても、いろんなカレーがあります。ここでまた迷うのであります。今日の気分は、「カレー粉と小麦粉」のカレーです。昭和の香りとでもいいましょうか、大衆食堂のあのカレーです。
 そこにカキフライがのっかるのです。ご馳走ですよ、たまりませんよ、子どもの頃のじぶんに食べさせたら、腰を抜かして喜ぶでしょう。カレーって、サイコーだな。

子どももおとなも喜ぶカレー。最強だよ。カレーを平和のシンボルにしたいと思うのである。


「うちごはん」


たまにはカフェランチ風に。






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安定と無縁なり


反省も後悔もせぬ人生の味わい


「安定」

 年末に送られてくる書類は、封をあけたくないものばかりだ。とくにお役所関係からのものは拒絶反応を示してしまう。これぞアレルギーだ(お役所アレルギー)。
 お役所と聞くと「鉄仮面」をかぶった輩ばかりが生息しているところと、イメージしてしまう(政治家は「金と利権の仮面」をかぶった卑屈なモンスターというイメージ)。

 なりたくなかった職業は、叱られるかも知れませんが、「銀行員」と「公務員」だだった。おかげさまでならずに(なりたくても、なれなかっただろうけど)すんだ。身内に公務員はいるんだけどね。

 同級生が銀行に入ったとき、「職業差別をする」というアホな宣言をしたことを覚えている。あの頃ぼくは、若かったのだ(無事?彼は途中で転職をした)。
 どちらかと言えば、こちらが「職業差別」される立場だったのに、傲慢であった。とにかく「安定を選択する」、それが嫌だったのだ、その当時は。今はまったく逆だ、「安定が命」である。しかし、もう遅いのである。


 
 「安定」とはここまで無縁できたので、この先も縁はつながることはないでしょう。「退職金」なんていうのは、ワタクシにとってはどこかの国の夢物語である。ガハハハと、笑って開き直るしかないのだ。
 学生諸君、就職に夢や希望を混ぜてはいけません。ただただ、「安定」を求めなさい。仕事なんて、まぁ、左遷やクビにならない程度にやっておけばいいのだ。他のことに力を注ぎ、人生をたのしむのがいいよ。
 「仕事に命を賭ける」のではなく、「じぶんの人生に命を賭けよう」なのだ。これからの時代は、のーんびり暮らしていけるんじゃないのかな。そんな気がするのだけれど、もう一度産まれてきてもまた、同じ職業を選び、同じことをやるだろうと、思う。ま、それはそれで幸せということか。

「100歳時代であるならば、まだまだいろいろ始められるぜ。一攫千金を狙うか、ガハハハ。」


「うちごはん」


豆腐丼と赤出汁。
このやわらかさがやさしくていいよ。







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読書のクセ


三刀流隙だらけにて一本献上


「同時読書」

 やってしまっている、してはいけないことを。もうやめようと決意していたのに気がつけば・・・あー、あー。それはなにかと問われれば、ベンベン。本の同時読みである。
 現在3冊、いろんな場所に置いてある。その席に座ったり、その場所で寝っころがったりするときに手にして読む、これ、むかしからの悪いクセなのだ。

 分散読みはやめようと決めたのに、決めたことを忘れてやってしまう。1冊を集中してじっくりと読むというのに憧れを持っているので、そろそろ落ち着き読みをしようとしていたのになぁ。
 来年こそ(鬼の笑う顔が浮かぶ)、ていねい読みを実践しなくちゃいかんぞ、記憶力もかなり落ちてきているのだから(もともとのレベルが低い)、腰を据えた読書をしよう。小学生に叱られる、チコちゃんにも叱られる。


※「うちごはん」 ちゃんぽん麺、麺は、若狭や製麺所の生麺を使用。

 アマゾンという便利なものができたから、いかんのだ(他人のせいにする)。ひょいと注文しちゃうと、ビュンと届けられる、そうすると何冊も机の上に積み上げられていく。積み上げられた本のタイトルを眺めていると、「あれもこれもそれも読みたい」となって、ならば同時にと、アホバカ読書になっちゃうのだ。

 アマゾンは便利だし、購入決定時に現金が動かないのでそのときに痛みを感じることはないから、ひょいと買ってしまう。月末のクレジットカードの明細を見て反省することが多いのだ。アマゾン商法はお見事である。

 本屋さんでしか本を買わないと決めたら無駄使いは減るかな。雑誌は近所の本屋さんで買うことにしている。たしかに買う種類は減った。
 なるほど、本は本屋さんで、急がなければそれがいいんだろうな。

 町の本屋さんを応援したい。
 これ以上、本屋さんが減ると困る。本屋さん散歩ができなくなるよ。


「一週間絵日記」









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時間よ止まれ


ゴールはスタート新年マジック


「高速時間」

 いよいよだなぁ、今年も終わっちゃうよ。ビュンビュン過ぎていくと感じる年月、その速さに追いつけずに暮らしているような気がする。
 体感速度の問題か、そこをうまくコントロールできたら、少しはゆっくりと暮らすことができるのか、どうなんでしょう。
 ご隠居マジックしかないと思っていたのだけれど(今も思っているけれど)、どうもそうではないという声が大大先輩たちから聞こえてくる。ご隠居してもだめなの?

 そこでアイデア! 時間をじぶんでコントロールするには、まずテレビを観ない。新聞を読まない。とうぜん週刊誌もダメ。時計も置かない、PCも使わない、スマホを捨てる。どーだ、時間をカウントするものから解放されると、体感速度が変わるのではないか、な、と、考えるのですが、果たして結果は?

 日が昇ると目を覚まし、日が沈むと寝る、自然のリズムに同調して暮らす。しかし、腹時計というものが人間には組み込まれている。とくに食いしん坊の腹時計は進みすぎているくらいだ。問題は内側にもあったか。



 テレビを観ないというのは、いいかもしれないと思う。テレビは時間ドロボーだ。あっという間に数時間経ってしまうでしょう。しかし、そんなこと言ったら音楽も映画もそうだ、読書だって同じだ。
 人間は時間を使わないと生きていけないのだ。なんて今ごろ納得しているマヌケなワタクシですが、せめてじぶんの時間は盗まれないようにしなくちゃね。

 今週末は、今年最後の東京ツアー(出張)だ。一年を「締める会」も決定した。最後は蕎麦で締める、ちょっと早めの東京での「年越し蕎麦」もプログラムのなかに入っている。締めくくりは、好きな人たちと。きっと来年へとつながるはずだ。

 好きな人と過ごす時間は、とっても大切だし、こころがよろこぶ。来年は、もっともっと、じぶんのなかのあっちこっちがよろこぶことを、するぞ!


「うちごはん」

トマトカレー。
昨夜のうどんすきの残りだしを使って作ってみた。
香辛料は、クミンとカレー粉。
上出来!






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白旗をあげて、眼科へ


365日戦である敵はアレルギー


「アレルギー」

 限界だ。
 限界には敗北感がつきまとうけれど、もうダメだ。白旗をあげて眼科へ行こうと思う。アレルギーだ、花粉だ、その他もろもろだ、敵は無数にいる。
 
 あれこれ自己流対策で踏ん張ったが、砦は打ち壊され敵が一気に攻め込んできた。撤退だ。このまま応戦しても勝ち目はないと判断し、頼りないけれど医者の力を借りることに(頼りないなんて言ってごめんなさい)。
 今季は、鼻よりも目にきている。それも強烈だ。風にも反応する、光にも反応する。サングラスが必需品になりそうだ。でも、仕事ではかけられないので、カラーレンズにお世話になっている。

 この戦いは(戦だ)終わりなく続くのか、名医は存在するのか、苦戦中であります。
 じぶんの弱点が次々と浮かび上がってくるぞ、生活習慣というやつか、暴飲暴食&したい放題してきた過去からの仕打ちか。心当たりはいっぱーいあるぞ。
 年内に対処法を見つけ出したい。薬で攻撃し、生活習慣で守る、攻守を充実しないといけないのだろうな。酒やはやめられないので、そこんところはお目こぼしを(誰に言っているのだ?)。



 室内と室外では症状がちがう。アレルギーの原因となるものが違うからだろうな。症状の違いをしっかり覚えておいて、問診に答えなければいかんです、はい。

 健康番組を観ていて問診の重要性を知った。話す、聞く、照らし合わせる、考える・・・名医の基本だと確信している。
 いい加減な問診をする医者は、NGだというこうとだ。見極めが大事になってくる。医者は先生様で偉いから、おっしゃることはすべて正しいなんていうのは、遠いむかしの話である。どんな業界にも仕事が、できる人、できない人、やる気のある人、ない人は存在する。肩書で信じちゃいけません。
 とにかく明日、眼科へ行きます。

 小学生の頃からアレルギーに悩まされている。当時は、花粉症やアレルギーなんてことばは一般的ではなかった。こんなことで人より早くてもなぁ、


「うちごはん」


昨夜のイワシのオリーブオイル煮の、
残りのオイルを使って、
スパゲティをこしらえた。







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焼き魚(鰆)定食


定食に熱燗一本の勇ましさ


「定食」

 恒例の(勝手に決めている)、「いまオレはなにを食べたいのか?」のコーナーです。人の食べたいものなんてしらんわい! なんてことは言わないでくださいね。

 まず、最初に思い浮かんだのが「定食」。そうです、○○定食の定食です。外食が減ると、「定食」というものを食べる機会が激減しちゃいます。会社務めをしていた頃や、事務所に通っていたときは、昼は100%外食だったので、定食を選ぶことが多かった。単品は栄養バランスみたいなことを考えて、できるだけ避けようとしていましたから。

 そこで、久しぶりに定食を食べに行こうと決意(大層な)して、近所のお寿司屋さんへ向かったのであります。ランチメニューを出しているのであります。もちろん、お寿司が主役ですが、ちゃんと定食も用意されているのです。
 果たして本日のお品書きは、「お刺身定食1000円」「にぎり寿司定食850円」「焼き魚定食(粕汁付)800円」。やはり、定食らしい定食は「焼き魚定食(粕汁付)」でしょう。王道です。迷うことを許しません。


※迷うことを許さない、クラプトン。

 おー、数カ月ぶりの定食よ、前に食べたのは東京出張のときだった。「ご無沙汰しております、定食さま」と、メニュー写真に声を掛け、一礼をしてから注文を致しました。
 おかあさんが、「焼き魚定食ね」と、確認をしてくれてから厨房へと消えていった。くるぞ、くるぞ、定食だぞと、こころの中でつぶやきながら横の人にそっと目をやると、定食+熱燗というウルトラCをやっているではないですか、うううう、どうしようかと迷うも、夜に予定があることを思い出し、熱燗は断念した(くやしいので、近々、ランチ&熱燗をしようと心に誓う)。

 そして、そして、そーして、定食が運ばれてきた。



鰆と粕汁、あったかい、あったかい、冬の粕汁は、たまりません。粕汁を少しすすって、熱燗で追いかければ、ううううう、サイコーだろうなと、横目でチラチラ隣の人の熱燗徳利をにらみながら、思ったのでありました。







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毎日が初体験


妄想の玉手箱開き夢見る大晦日

「日々新鮮」

 「毎日が初体験」、なんてことを突然思った。最近、「新しいことに遭遇しないんだよな」と言う人が周りでも増えてきたのだけれど、いやいや、そうじゃないぞと、今日の日は未体験じゃないのかと、ワタクシ、ひとりつぶやきしちゃいました。
 一生、「日々初体験」なのだ。なかなかいいんじゃないの、そういう考え方ってさ。ひとりで納得をしておる次第であります。

 まったく同じことは起こらないし、感じないよね。今日のコーヒーの味は昨日とは違うし、明日も違うでしょう。からだのなかだって、気がつかないけれど日々変化しているはずだから、昨日のじぶんは存在しないということになる。
 なんだかおもしろい発見(あたりまえのことだけど)のような気がして、あれこれ考えてしまう。



 来年は、「初体験の密度」が濃くなりそうな気がするのだが、気がするだけで終わってしまうことも多いから、予感的中の確率は? どんだけ~。

 これから起こること、遭遇することには期待したいけれど、最近はいかなることにも不安がつきまとう。若い頃は、期待の重力で不安を押しつぶしていたのに、最近は逆になってしまっているかもしれない。
 ただ、開き直りという刀は年々切れ味がよくなってきているけれどね(一刀両断パワーだ)。時間の砥石で鍛え抜かれた刃は強いぞ。それを年の功というのかもしれない(ちがうか)。

 新しことじゃなくても、いまやっていることの奥の間へ進むということもあるかもしれません。まだ見ぬ奥の間には、財宝が眠っているなんてことが・・・、新年が近づくと、夢見がちになっていくなぁ。

「初夢」の記憶がないので、来年こそ「初夢」を見たいし、記憶しておきたい。ちょいとセクシー&ロマンチックな夢がいいなぁ。欲張りか、あは。



「これ、好きなんです」

通販で買った。
西麻布の交差点近くのとんかつ屋さんにおいてあったふりかけ。
「これかけてね」と、お母さんにすすめられた。
あの頃、わが事務所は西麻布の交差点近くにあったので、
昼によく行っていた。まだ、やっているのかな。







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クリスマス気分はケーキで


ローソクに願い託しジングルベル


「クリスマスケーキ」

 クリスマスケーキの予約告知を近所のケーキ屋さんがはじめた。そのケーキ屋さんには、少しお世話になったので(店の人は記憶にないかもしれないけれど、ポイントは高かったのだ)、お付き合いという気持ちもあって小さなケーキを予約した。
 今年のクリスマスは、ケーキとともにやってくるのである、ということに決めた。クリスマス気分を高めてくれるものはなにかないかと思って、辺りを見まわしてみたけれど、やっぱりクリスマスケーキしか浮かばなかった。
 骨付きチキンというのもあるけれど、華やかさはない。酒のつまみだよ(酒飲みだからか思うのか)。それに、小さい頃にチキンは食べなかったもの。ケーキは毎年食べていたという記憶があるけれど、チキンをクリスマスに食べたというのは、スナックでバイトをしていた頃だけだ(なぜかチキンにポップコーンをつけて、一週間クリスマスイベントをやっていた)。



 クリスマス気分を盛り上げるために、外食をする? いや、それもなんだか面倒だし、落ち着かない。ならば、ホテルの部屋で夜景を眺めながらカンパーイをする? まるでバブル復活のような企画だし、性に合わない。
 わが友人に、毎年何カ月も前からホテルを予約していた強者がいた(女子の予約は未定なのに)。成功したことがあったのか? 大金を使っていたよ、彼は。

 やっぱりケーキだよ、クリスマスはケーキです。ケーキにクリスマスを集約して、シャンパンなどで気分を盛り上げて、「男はつらいよ」のDVDを観るのがいちばんである。そう、ワタクシは思うのであります。
 みなさんのクリスマスは、どんなかなぁ~(仁鶴師匠風に)。

 お寿司屋さんでクリスマスをやろうぜと、盛り上がっていた時期があった。純和風でクリスマスだと、若き天の邪鬼たちは騒いでいた(女子には冷たい目で見られていたけれど)。


「うちごはん」


豆腐とタマゴあんかけ細うどん。
不思議とうまい、からだにもいい。







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もうこんな、


あっちこっちに時間計測器つかれる


「1年の終わり」

 友人のデザイナーから、オリジナルカレンダーが送られてきた。毎年つくっているもので、このカレンダーが届くと1年が終わっていくことを実感させられる。
 まだ12月だという感覚がないので、昨日も仕事の電話で「スケジュール大ボケ」をやらかしてしまった。一週間、ずれていたのだった。
 N氏:「この件は、来週東京に来られたときに打ち合わせでいいですか」
 オレ:「打ち合わせって、来週だったっけ? 再来週じゃなかった?」
 N氏:「来週ですよ、忘れないでくださいよ」
 オレ:「たしかに、スケジュール帳を見たら記されていた」
というような会話がなされた。
 ビュンビュンと過ぎていく時間に追いつかない思考、もっとゆっくりと、ゆっくりと、お願いしますよと、神さまに頼んでみる(むなしいお願いだけど)。


※天から一筋の光が、降臨か、

 そうか、再来週はクリスマスかぁ。スパーには正月用の餅が並びはじめて、クリスマス商品とのへんてこなコラボが・・・、なんじゃこりゃ、である。
 たぶん、みんなが急がせるのだよ、12月になると一斉に急がせる(急がせて財布の紐をゆるくするために)、落ち着いてやればいいのに、我先にとはじめちゃうから、とくべつ早く感じるのだと思う。
 ワタクシの仕事は、相手を急がせても収入や利益になんの関係もありません。歳事という特需とは無縁の仕事であります。
 逆に支出が多くなって困るのであります。ボーナスもないし、おひねりも飛んでこないし、袖の下もないし、もちろんお年玉もなしであります(お年玉を出す方だ)。
 では、クリスマスや正月って、なにがいいのだ? そうなるな。収益はない、利益もない、ただただ雰囲気かもしれない。ならば、どっぷりクリスマスと正月の雰囲気におぼれようじゃないか。たのしむことが利益であると、御利益であると信じて、そだねー。

 肝臓をまもるには、おもちとだいこんおろしだと、某テレビ番組で言っていた。よし、その組み合わせで正月を迎えよう。


「うちごはん」

WAKASAyaの蕎麦(生麺)でつくる、
うーん、わけのわからん一杯。
蕎麦のゆで汁を使ってみた。
栄養が流れているらしいぞ。







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お正月と言えば・・・


正月に丼鉢で食べたい茶碗蒸し


「茶碗蒸し」

 正月の食べものと言えばなんだと、問われたら、「茶碗蒸し」と即答してしまう。
 どうしてなのでしょう、どうしてなのでしょう。「おせち」や「鯛」や「雑煮」ではなく、「茶碗蒸し」。「茶碗蒸し」という響きに反応し、鬼が首を傾げすぎて首が折れてしまうかもしれません(これぞ、鬼ごろし)。それほど、不思議な回答だと周りはおっしゃるのであります。
 もしかしたら「茶碗蒸し」には、なにかトラウマになるようデキゴトがかくれているのかもしれないと、勘ぐる輩も登場する。
 なにもかくれてはいません(本人弁)。単純に子どものころから好きなだけです。お正月にしか「茶碗蒸し」を食べなかったというか、つくってもらわなかったので、とくべつな正月料理としての座を獲得したのだと思う。



 お袋が「茶碗蒸し」が好きで、丼鉢でつくって食べていた光景が目に焼きついている。たぶん、のこったダシ(汁?)がもったいないから、デカイ器でこしらえたのでしょう。当時は、食べものを捨てるなんてことは許されませんでしたから。
 出されたものは「残さず食べる」というのが、国の法律よりも強い力を持っていたのだ(当時であれば、今の若者はぜんぶ死刑を宣告されるかもしれん)。

 思い出した、西麻布に事務所があった頃、何人かでランチにいって出てきた「茶碗蒸し」を見て、「正月みたいだ」とつぶやいたら、「意味がわからない」そう言われた。あのとき、なんでだ?と、反対に不思議だったのだけれど、「意味がわからない」という意味があとになって分かった。
 
 「茶碗蒸し」のないお正月なんて、ありえなーいと思っているワタクシに賛同してくれるかたは、果たしてこの国に何人いるでしょう。


「うちごはん」


スタミナラーメンをつくった。
和風だけれど、パンチはあった。








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