この牙の持ち主は120-130㎏の威厳のある立派な奴だった。
別に恨みはなかったが、何かの縁で図らずも罠にかけ、命を奪った贖罪にいつも身に付け持ち歩いている。
自分は猟師ではない、獲物を追いかけて山に入ることはない。ただ、鹿や猪が彼方此方荒らしまくり、自宅の表まで出てきて、挙句の果てに墓まで掘り返されては、ご先祖様にも申し訳が立たぬ。黙って見ている訳にはいかない。これはサバイバルなのだ。自分のテリトリーは守らねばならない。
『イノシシを殺さないでほしいな』
確かにうり坊はカワイイ、出来れば生かしてやりたい。止め刺した母親にまとわりつくウリ坊には流石に気が滅入る。だが、一年で成獣となり、二年目に子供を生む。後の被害を思うと見逃す事もできない。この地球は、環境は有限なのだ、無制限に獣を受け入れることは出来ない・・。
しかし、それはコッチの見方だ。猪にしてみれば、『よくもそんなことを!』人間の方が遥かに多すぎるじゃないか、というだろう。しかも自然を破壊していると。
猪鹿だけではない人間も生物だ。自然の掟には逆らえない。数が増え続けるのは、生物の本性なのか、あるいは生き残るための手段なのか。本性ならば、時間とともに増大するエントロピーの一翼を担っているのならば、増加を止めることは出来ない。
手段であるならば、人間にあるとされる理性で、欲望を抑え最大限の努力をすれば、持続可能な世界を構築できると信じたい。
温暖化問題も移民問題も、詰まるところは人口問題だ。COP25で話し合うべきは人口の抑制ではないのか?。宗教、人道的見地・・、困難な問題だが、人類という種の存続のために解決すべき最重要な課題だ。幸い?日本は少子化で人口が減っている。飢えや戦争で減らしているのではない、自然減?だ。見習うべき温暖化防止の優等生であり、持続可能な社会への先達ではないか。
自分はこの先も多くの鹿や猪に引導を渡さねばならぬだろうが、
人として、
『うり坊はカワイイ、出来れば生かしてやりたい』
と思う心は持ち続けたい。
ダレノガレのように。