先達(せんだつ)城は享禄元年(1528)武田信虎が諏訪侵攻の際、ここにあった新五郎屋敷 を
城に取り立てたという記録があり、これが先達城と考えられるそうで、後の「常昌寺」
諏訪百番観世音霊場としての歴史よりもどうやら先達城址としての見聞の方が多い様です
御詠歌を探したら室内にありました 巡礼の道先達と聞くからに
広大無辺慈悲のけち縁
諏訪百番観世音霊場 東二十四番 常昌寺 長野県諏訪郡富士見町 境 先達2763
先達城址
本尊 聖観世音菩薩
石仏 庚申 2 甲子 西国三十三番所塔
秩父坂東西国百番供養塔 地蔵
信玄の時代には地元の伝承によると家臣、多田淡路守常昌の居館があった。常昌は長篠の合戦 で討ち
死にしたという。境内の墓地には常昌の墓碑があるが、文献上ではどのような人物であったのかは 判らない。
参考資料 諏訪百番観世音霊場 巡礼ハンドブックを参照させて頂いています