今日(3月10日)は童謡詩人、金子みすゞ(本名金子テル)の1930(昭和5)年の忌日。
正直私は、余りこの詩人のことはよく知らなかった。“金子みすゞ”この優しい響きをもつ名前に魅せられて、彼女のことを調べているいるうちに、今から約100年前の1903(明治36)年、山口県長門市仙崎(当時大津郡仙崎村)に生まれ、大正末期、すぐれた作品を発表し、西條八十に『若き童謡詩人の巨星』とまで称賛されながら、1903(昭和5)年26歳の若さでこの世を去った彼女の不憫な生涯に胸が詰まった。その一生は、戦後強くなった現代女性には想像もつかないような哀れなものである。
3歳で父を亡くし、1923(大正12)年母の再婚先である下関の上山文英堂本店に移り住み、詩を書き始めたのは20歳の頃であった。
1926(大正15)年にみすヾは義父から勧められるままに書店の番頭候補の宮本啓喜と結婚させられ、女児をもうけるが、夫婦の仲、生活は荒んでいた。夫は家庭を顧みず、遊郭通いにあけくれ、彼女は夫の放蕩によってもたらされた病気(淋病)をうつされ、苦しむことになる。そのような逆境の中にあっても、みすヾは持ち前の優しさと、広い心で夫を愛そうと努力するが、この思いは夫に伝わらず、挙句に、夫は、詩作を心のの支えに、病と闘いながら子育てをしていた彼女に詩作をすることさえも禁じてしまう。これはどれほど彼女に大きな精神的打撃を与えただろうか。ついに、本意でなかった結婚が破局を迎えたが、夫は、なお、彼女から愛する娘をも奪い取ろうとした。結局、彼女がその心痛から愛児を残したまま、睡眠薬を飲み自らの命を絶ったのが1930年(昭和5)年26歳のことであった。没後その作品は散逸し、幻の童謡詩人と語り継がれていたが、童謡詩人・矢崎節夫の長年の努力により没後50年余を経た1982年に遺稿集が見つかり、1984年からJULA出版局 より全集や選集が次々と出版され、1996年4月からは、小学校国語教科書や道徳の副読本などで、全国の子どもたちがみすゞの詩と心にふれるようになったという。それでも、金子みすゞは、若くして亡くなったため忘れられた存在であったが、2001年8月27日放映のTBS創立50周年記念ドラマ「明るいほうへ明るいほうへ」(松たか子主演)などもあって、いまその再評価が進んでいるようですね。
1996年の学校図書にも掲載された「私と小鳥と鈴と」を一つここに紹介しておこう。
「私と小鳥と鈴と」(詩) 金子みすゞ
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
みすヾの詩からは、万物への優しさが伺える。彼女は幼い頃から、決して人と争わない優しい人だったという。以下参考に童謡集も紹介しておくので、是非一度皆さんも読んでみてください。
(画像:「童謡詩人金子みすゞの生涯」 矢崎 節夫【著】JULA出版局 )
参考:
金子みすゞのおすすめサイトマップ
http://www1.ocn.ne.jp/~yama88/b/index.html
金子みすず(金子みすず童謡集)
http://ns.spcc.co.jp/~hisa/navico/gya/mis/tai01.htm
北沢文庫
http://www.ftm.co.jp/bunko/
正直私は、余りこの詩人のことはよく知らなかった。“金子みすゞ”この優しい響きをもつ名前に魅せられて、彼女のことを調べているいるうちに、今から約100年前の1903(明治36)年、山口県長門市仙崎(当時大津郡仙崎村)に生まれ、大正末期、すぐれた作品を発表し、西條八十に『若き童謡詩人の巨星』とまで称賛されながら、1903(昭和5)年26歳の若さでこの世を去った彼女の不憫な生涯に胸が詰まった。その一生は、戦後強くなった現代女性には想像もつかないような哀れなものである。
3歳で父を亡くし、1923(大正12)年母の再婚先である下関の上山文英堂本店に移り住み、詩を書き始めたのは20歳の頃であった。
1926(大正15)年にみすヾは義父から勧められるままに書店の番頭候補の宮本啓喜と結婚させられ、女児をもうけるが、夫婦の仲、生活は荒んでいた。夫は家庭を顧みず、遊郭通いにあけくれ、彼女は夫の放蕩によってもたらされた病気(淋病)をうつされ、苦しむことになる。そのような逆境の中にあっても、みすヾは持ち前の優しさと、広い心で夫を愛そうと努力するが、この思いは夫に伝わらず、挙句に、夫は、詩作を心のの支えに、病と闘いながら子育てをしていた彼女に詩作をすることさえも禁じてしまう。これはどれほど彼女に大きな精神的打撃を与えただろうか。ついに、本意でなかった結婚が破局を迎えたが、夫は、なお、彼女から愛する娘をも奪い取ろうとした。結局、彼女がその心痛から愛児を残したまま、睡眠薬を飲み自らの命を絶ったのが1930年(昭和5)年26歳のことであった。没後その作品は散逸し、幻の童謡詩人と語り継がれていたが、童謡詩人・矢崎節夫の長年の努力により没後50年余を経た1982年に遺稿集が見つかり、1984年からJULA出版局 より全集や選集が次々と出版され、1996年4月からは、小学校国語教科書や道徳の副読本などで、全国の子どもたちがみすゞの詩と心にふれるようになったという。それでも、金子みすゞは、若くして亡くなったため忘れられた存在であったが、2001年8月27日放映のTBS創立50周年記念ドラマ「明るいほうへ明るいほうへ」(松たか子主演)などもあって、いまその再評価が進んでいるようですね。
1996年の学校図書にも掲載された「私と小鳥と鈴と」を一つここに紹介しておこう。
「私と小鳥と鈴と」(詩) 金子みすゞ
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
みすヾの詩からは、万物への優しさが伺える。彼女は幼い頃から、決して人と争わない優しい人だったという。以下参考に童謡集も紹介しておくので、是非一度皆さんも読んでみてください。
(画像:「童謡詩人金子みすゞの生涯」 矢崎 節夫【著】JULA出版局 )
参考:
金子みすゞのおすすめサイトマップ
http://www1.ocn.ne.jp/~yama88/b/index.html
金子みすず(金子みすず童謡集)
http://ns.spcc.co.jp/~hisa/navico/gya/mis/tai01.htm
北沢文庫
http://www.ftm.co.jp/bunko/