今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

シルクロードの日

2005-03-28 | 記念日
今日(3月28日)は「シルクロードの日」
1900(明治33)年、スウェーデンの探検家・地理学者のスヴェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見された。
以前にNHK特集「シルクロード」が放送されて25年、今年1月から、NHKスペシャル 『新シルクロード』の放映が始まっている。今回はパラグライダーを使っての低空撮影や最新鋭高性能カメラでの文物撮影などハイビジョンを活かした厚みのある映像が売り物だ。又、25年前の音楽は喜太郎だったが、今回は世界的なチェロ奏者、ヨーヨー・マが担当している。 ヨーヨー・マのチェロは、時空の境界を越えた雄大な音楽で、本当に素晴らしい。
ここのところ、NHKは色々問題を起こし世間を騒がせている。私も最近NHKに好感はもっていないが、やっぱりこのようなスケールの大きなドキュメンタリー番組ははNHKでないと作れないよね~。各国の博物館・美術館に所蔵されている壁画の撮影なども含めてすごいお金がかかるだろうからね~。昨年末の人気取りのマツケンサンバのようなものを視聴料を払ってまで見る気はしないけど、このような良質の番組を作ってくれるのであれば、ちゃんと視聴料を払ってもいいとおもうよ。
シルクロードと言うのは、当時は、漢代の中国と西域の国々を結んだ交易路のことを指していた。中国から絹(シルク)製品が輸出されたのでこう呼ばれている。ドイツの地理学者リヒトホーフェンが、内陸アジアを通るオアシス・ルートを「ザイデンシュトラーセン」と命名。これを受けて、スエーデンの探検家スヴェン・ヘディン(1865-1952)やイギリスの探検家マーク・オーレル・スタイン(1862-1943)が「シルクロード」という語を使用して一般に普及したという。この言葉が、やがて古代ローマに至る道にまで拡大視され、西安(長安)とローマというユーラシア大陸の東西を結ぶ道の総称として用いられるようになったそうだ。西域とは中央アジアの東半分、およそ中国の新疆ウイグル地区を指し、ここを通るシルクロードは、かつて玄奘三蔵が経典を求めてインドへ向かった『西遊記』の道でもあったのだよね~。19世紀後半、人を寄せ付けない沙漠と思われていたこの地から、楼蘭や敦煌などの遺跡やすばらしい仏教美術が次々と発見・発掘され始め、世界の注目を集めるようになり、各国から多くの探検家がこの地方を訪れ、調査を行っている。近年は、オアシスルート以外にも海上路(マリンルート)の重要性も認められ陸路に対して「海のシルクロード」とも呼ばれている。なお、シルクロードは、15世紀の大航海時代以降は、大量輸送を可能にした海上路に主力が移り、オアシス・ルートは衰退していき、ヨーロッパ人にとって19世紀までは殆ど謎に包まれた地域であった。
このシルクロードという言葉には、神秘的な響きがあり、悠久の歴史のロマンを感じさせるね~。
ところで、日本のシルクロードをご存知ですか。いろんなところで、シルクロードの名が使われているが、先ず、一つは、日本書紀に、推古21(612)年11月のこととして「難波より京(みやこ)に至るまでに大道(おほち)を置く」とあるのがそうだよ。もと奈良の東大寺にあった校倉造(あぜくらづくり)の倉庫・正倉院宝物の世界性から正倉院が「シルクロードの終着駅」などといわれたりする。無論言うまでもなく、本当の終着駅は唐であるが、正倉院の宝物にはさまざまな異国要素のものが融合されており、特に舶載(はくさい)のガラス器などは、はるばるシルクロードを運ばれてきた品として有名である。この大道(おほち)が、ユーラシア大陸の異文化、異文明を、奈良の飛鳥に導き入れた日本最古の中央道路であったことは間違いないだろ。
それと、もう一つ、本物の日本のシルクロード(絹の道)がある。文化庁の「歴史の道・百選」にも選ばれている「絹の道」は、安政6年(1859年)に始まったといわれている。横浜に港が開かれ、開港の翌年の1860年(万延元)、甲州商人の伏見屋忠兵衛が横浜・本町の芝屋清五郎を介し、海岸七番のイギリス人ロスバルベルに売ったのが生糸取引の最初とされているらしい。その後外国人達が極めて絹を好むことが解り、生糸は、戦前まで我が国の輸出の中心製品となった。当時、生糸の産地としては上州、甲州など関東山間地が中心で、そこで生産された生糸等の集散の中心地が八王子であった。ここから商人の手によって横浜港まで運ばれた約35kmの道が絹の道であり、今、「日本のシルクロード」と呼ばれている。世界史上の「シルクロード」とはスケールも役割も異なるが、日本近代史上においては重要な道であったところである。開港2年目からの約6年間位は、横浜港からの輸出の中、生糸の占める割合が常に7割以上、時には9割にも達していたということである。
(画像は、NHKスペシャル 『新シルクロード』より)
参考:
シルクロード - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89
NHKスペシャル 『新シルクロード』放送80周年 日中共同制作
http://www.nhk.or.jp/silkroad/
西域探検の世紀
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/4307760/top.html
NHKプロモーション - NHK Promotions Home Page
http://www.nhk-p.co.jp/tenran/silkroad/
シルクロード紀行(北海道新聞 DOSHIN ホームページ )
http://www.aurora-net.or.jp/doshin/silkroad/
宮内庁:正倉院ホームページ
http://shosoin.kunaicho.go.jp/treasure/shousouin/shousouin/shousouin.html
地理写真 絹の道
http://bungakubu.kokushikan.ac.jp/chiri/Photo/2000may/2000may.htm
横浜の歴史
http://homepage2.nifty.com/351217/yokohama-histury.htm