今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

いかりや長介

2005-03-20 | 人物
今日は「いかりや長介」の 忌日
2004年(平成16) 3月20日、人気番組「8時だヨ!全員集合」で、テレビのお笑いを席巻した「ドリフターズ」のリーダー、コメディアンで俳優のいかりや長介 (本名:碇矢長一)が 死去した。享年<72歳> [1931年11月1日生]
東京生まれで、高校を中退後、職を転々とし、アマチュアバンドのベース奏者になったことが芸能界へのきっかけとか。
1962(昭和37)年、加藤茶、小野ヤスシらとウエスタンロックをこなすバンド「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」の結成に加わる。その後メンバーが一部抜け、1964年に中本工事、高木ブー、荒井注などを加えて「ザ・ドリフターズ」を再編し、日本テレビの「ホイホイミュージックスクール」でデビューした。しかし、なんといってもドリフターズを有名にしたのは、1969(昭和44)年からのTBSの生中継番組「8時だヨ!全員集合」である。大掛かりな舞台装置と体当たりのギャグが受け、子供たちだけでなく大人からも圧倒的な支持を受けた。しかし、一部からは「食べ物を粗末にする」「ストリップまがいの踊りをする」といった批判、「俗悪番組」との非難にもされた。当時この番組でのリーダー・いかりや長介は、メンバーからの嫌われ役、やられ役を演じていた。子供たちの人気者は、メンバーの加藤茶やその後、メンバーに加わった志村けんなどの演技ではなかっただろうか。いかりや長介は、非常に真面目な性格で、凝り性でもあったようで、メンバーは、リハーサルでは、非常に厳しく何度も何度も繰り返しを命じられたという。兎に角、生中継番組の本番での奇想天外なギャグと演技に日本中の人が腹を抱えて笑った。番組での「ドリフのズンドコ節」は1970(昭和45)年、日本レコード大賞大衆賞、日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞している。
この番組は、1985(昭和60)年に惜しまれながら終了。その後、いかりや長介は、テレビドラマや映画で渋い脇役として新境地を開いた。晩年の当たり役はフジテレビの「踊る大捜査線」のベテラン刑事役である。この演技は本当に存在感があり味があった。正直言っていかりや長介はお笑いで売り出したが、お笑い役者には向いていなかったと思うし、当時は、少し、生意気な態度も見られ私は余り好感は持っていなかった。しかし、晩年の渋い演技には、そこにいるだけで存在感が漂い、貫禄十分であった。私は、そんな後半の役者としてのいかりや長介を惜しむ。ただ、「全員集合」がすごいのは、生放送でのメンバー5人の息がぴったりであったことだろう。加藤茶や志村けんの演技が受けたのも、いかりや長介の陰での指導と統率力の賜物であったことには間違いない。
先日(3/15(火)19:00より)関西テレビ(フジテレビ系)2時間番組で”いかりやさん一周忌特番”笑って泣いて!いかりや長介大爆笑!!が放送された。当時を思い出しながら拝見した。しかし、面白いけれど、やはり、多少下品なシーンが目に付いたね~。東京三越日本橋店では、3月22日(火)~27日(日)の期間、ザ・ドリフターズ結成40周年記念展「40周年だヨ!全員集合」が行われるらしい。
(画像は、「だめだこりゃ―いかりや長介自伝」いかりや 長介著、新潮社 )
(参考:
[イザワオフィス]HP
http://www.jame.or.jp/izawa/
週間シネママガジン・いかりや長介(今週のスター)
http://cinema-magazine.com/new_starlog/star166.htm
色々宣伝http://bogey.sakura.ne.jp/bakatono/top_senden.html