今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

漫画週刊誌の日

2005-03-17 | 記念日
今日(3月17日)は「漫画週刊誌の日」
1959(昭和34)年、日本初の少年向け週刊誌『少年マガジン』(講談社)『少年サンデー』(小学館)が創刊された。
創刊号の表紙を飾ったのは、いずれも当時の子供たちが最も関心を示していた人気スポーツの相撲と野球で『少年マガジン』は第46代横綱・朝潮太郎。『少年サンデー』は長嶋茂雄。しかし、漫画中心と言うよりも、少年向けの読み物が中心で、漫画は少ししか載っていなかった。価格は当時、『少年サンデー』が30円で、『少年マガジン』が40円と10円高かったがうすい漫画本を付録につけていた。
1950年代(昭和30年代前半)は「少年」「冒険王」「ぼくら」「少年ブック」「少年画報」などの月刊誌が、百花繚乱という感じで毎月競ってマンガを載せ膨大な別冊付録やオマケを付けて本屋に山のように並んでいた。ちなみに「鉄腕アトム」や「鉄人28号」などは、この月刊誌出身の人気作である。1969(昭和34)は、日本の高度経済成長への始まりの年であり、同年4月10日の皇太子ご成婚をきっかけに東京では二つの民放が開局し、テレビは一挙に200万所帯にも普及していた。1950年代後半からは、日本の就労者の多くがサラリーマン化し、電車を利用した通勤では、大都市圏で平均通勤時間が1時間と言うのが普通となった。そのようなサラリーマンにとって通勤のための電車の中での適当な暇つぶしには「週刊誌」はもってこいで、毎週様々な話のネタを提供してくれる週刊誌がラリーマンのブームになっていた。
この週刊誌が子供向け漫画情報週刊誌として発刊されたわけである。当時、大人の管理化にあった情報は、テレビを通して子供たちとじかに結びつくようにもなった。多くの漫画が出版されていたとは言え、まだ、大人から自由に見ることを禁止されていた漫画が、自分たちの小遣いの範囲内で買えるようになった。週刊誌の表紙は、TVで話題のスポーツ選手などが少年の興味を誘う。1959(昭和34)年の少年週刊誌2誌の創刊を境に、子供たちの雑誌も今まで「月」単位だった連載が「週」にシフトし始めた。そして、中身も漫画を中心とするものに変化してきた。60年代後半には週刊誌がメインとなり、週間「少年マガジン」の100万部突破もあるなどマンガが時代のメディアへと祭り上げられ今日に至っている。
今、電車の中や喫茶店の中では、多くの若者が漫画の週刊誌を読んでいる。少年向けの雑誌と思われるものも若者が読んでいる。よく、旅行などをしていると電車の中などで、一人で3~4冊の週刊誌を持ち込んで見ている若者が結構多くいる。見ていると、漫画でなくても普通の週刊誌でも読むというよりは目を通しているだけの感じである。確かに最近のものは文よりも絵や写真が多い。正に、読ますというより見せている感じである。私は、昭和30年代の頃は週刊誌も読んでいたが、それ以降は、病院だとかその他の場所で時間待ちのために備え付けのものに目を通したり、仕事などで新幹線など乗ると終着駅で前の席に乗っていた乗客が読み終わったものを放置していたものを拾って、次の乗り継ぎ電車の中で目を通す程度である。余り、読もうと思うような記事は見当たらない。週刊誌といっても、昭和30年代のものは今のものと比べると中身は結構真面目な硬い記事が多かった。当時は、みんな真面目に、固い読み物を読んでいたんだよね~。今、手塚治虫亡き後、宮崎駿監督のアニメが世界でも評価されている。遡って考えてみると、日本には、昔から、絵物語文化が発達していて、漫画文化の土台は出来ていたのだと思うが、それにしても、今のマンガブームは、日本人の思考体系に大きな影響を及ぼしてはいるだろうね。
(画像は創刊当時の少年サンデーと少年マガジン。朝日クロニクル、週間20世紀より)
参考:
日本民衆文化史
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html