今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

精霊の日ー小野小町についてー

2005-03-18 | 人物
今日(3月18日)は「精霊の日」。ー小野小町についてー
柿本人麻呂、和泉式部、小野小町の3人の忌日がこの日であると伝えられていることから。
欲張って3人ものことは書けないので今日は、小野小町のことを・・・。
楊貴妃、クレオパトラとともに世界の三大美女?としても並び称されるほどの小野小町は、美人を指す言葉「○○小町」の語源ともなっているほどの日本を代表する美人で有名。9世紀中頃,仁明朝から清和朝にかけて活躍した歌人であるが、その生没年は不明で、出自についても小野篁(おののたかむら)の孫であるとか諸説があり、正確には分かっていない。
小野小町という名は、平安時代、女性は実名では呼ばれず、父や夫の役職名で呼ばれること が多かったので、清少納言は父の清原元輔が少納言であったため、清と少納言から清少納言と呼ばれた様に、小野小町も小野氏の娘であったと考えられ、天皇の妻は(順位)皇后・中宮・妃・女御・更 衣で、女御までは殿舎が与えられたが、それよりも身分の低い更衣は部屋(局)を与えられ、その局を町といったそうだ。だから、小町の名は天皇の妻である更衣だった可能性が高く、仁明帝の寵愛(ちょうあい)を受けていたのであろうが、仁明天皇には13人の妻がいたとされ、その多くは、当時権力を誇っていた藤原系の娘であり、美貌と詩才に恵まれた小町でも天皇の愛情を十分に勝ち得るのは難しかったのではないだろうか。
この小野小町の歌としては、百余首の歌を収める『小野小町集』などが伝わっているが、確実に小野小町の歌と言えるものは古今集所載歌18首のみ、又、これに後撰集の4首を加えるのみとも言われている。
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
小野小町(9番)『古今集』春・113
小倉百人一首にも、選ばれているこの歌を知らない人はいないほど有名な歌である。
意味は桜の花の色は、春の長雨が降っている間に、むなしく衰え色あせてしまった。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに・・・といった内容で、色あせた桜に老いた自分の姿を重ねた歌である。
日本最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の序で、撰者の紀貫之(きのつらゆき)は、「小野小町は古の衣通姫の流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よき女のなやめるところにあるに似たり。つよからぬ女の歌なればなるべし。」と評し,小町を『古事記』に登場する絶世の美女・衣通姫に例え、その美しさと手弱女(たおやめ)ぶりの優美な歌を絶賛、女流歌人としての抒情性を高く評価している。
しかし、京都の野村美術館に、江戸中期、出目洞白満喬(でめとうはくみつたか)の作とされる能面「老女」が残されており、この面は、落ちくぼんだ目。痩(こ)けた頬(ほお)。だらしなく垂れ下がった口角の老醜である(※下参照の関西「小町の能面」をみるを見てください )。能の世界では、小町は艶(あで)やかな宮廷歌人ではなく、哀れな老女として登場し、「関寺小町」や「通(かよい)小町」「卒都婆(そとば)小町」。老女物と呼ばれるこれら演目で使われたのがこの面だという。
百人一首にも採られた小町のこの歌には、「年(時)」とともに衰えゆく美に、言葉で表している意味を越えて感じられる情緒、イメージの広がりがあり、無常観や、日本的な滅びの美学が感じられる。華やかな宮廷生活にある若き美貌の歌人が、文字に表した嘆きの落差には痛々しさが感じられるが、皆さんはどう感じられますか・・・。
ところで、お彼岸は春分の日を中日とし、その前後3日間で、2005年の今年の場合は3月17の昨日が彼岸の入りです(2005年は3月17日~23日)。ご自分のご先祖のお墓参りもきちっとなさってくださいね・・・・。
(画像は小倉百人一首より小野小町)
参考:
やまとうた
この中に古今集秀歌選、小野小町 、六歌仙、三十六歌仙などのことが含まれている。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/index.html
小野小町 京都の伝説
歴史のかたち : 歴史: Yomiuri on-line 関西「小町の能面」をみる
http://osaka.yomiuri.co.jp/katati/ka41129a.htm
お彼岸のお話
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0730.htm