1985(昭和60)年の今日(3月30日)は 歌手・笠置シヅ子の忌日。
1914(大正3)年8月25日生まれ。香川県出身。1927(昭和2)年大阪松竹楽劇部に入団。三笠静子と名乗り、大阪松竹座『春のおどり』で初舞台。子役としてスタート。1936(昭和11)年『春のおどり』の「春はジャズに乗って」が大評判となり、ジャズ歌手としても認められる。三笠宮家が設立されたので、笠置シヅ子と改名。1938(昭和13)年に東京松竹楽劇団に入る。東京入りしたのは、恋人である吉本興業の御曹司が早稲田の学生だったためとか。しかし、吉本興業の創業者吉本せいの強硬な反対や御曹司の急逝もあって、笠置の結婚生活は長くは続かなかった(このとき既にお腹には一女が)。1947(昭和22)年夏発売の「東京ブギ」が大ヒット。この後「買物ブギ」などでブギの女王となる。軽妙洒脱な芸風で一時代を築き、民衆から支持されていた。
敗戦後、国民を元気付けてくれた歌手の第1号は、1945(昭和20)年封切りの松竹映画「そよかぜ」の主題歌「りんごの歌」(サトウ・八チロー作詞、万城目正作曲)を歌った並木道子だったが、その次が、1947年(昭和22)年12月に同じコロンビアから売り出された「東京ブギウギ」(鈴木勝作詞、服部良一作曲)を歌った笠置シズ子であろう。その強烈なリズムに乗った曲、歌声は、瞬く間に全国に広がり、生活に汲々としていた人々の鬱憤を晴らし、勇気付けてくれた。彼女は、戦前、パンチのきいた地声でジャズを歌い活躍していたが、時局にそぐわないとして軍や警察から公演中止を求められていた。しかし、戦後、服部良一とのコンビの「東京ブギウギ」で復活、日劇のステージのワンマンショーでは1週間に7万人を超す観客を動員する記録を立てた。「東京ブギウギ リズムうきうき 心 ずきずき わくわく」獣の叫びに似たような彼女の歌声。彼女はこの当時立ち姿で歌う流行歌手の型を破って、激しく動き回り、歌って踊った。そこが新鮮だった。この当時、人気絶頂の笠置シズ子の物真似をして一人の少女・美空ひばりが芸能界にデビューする足がかりを掴んだ。しかし、笠置シズ子が、美空ひばりを、自分の物真似をしているとこき下ろしたことも有名な話。自分の持ち歌を他人が歌うことを大変嫌ったのだ。そして、1950(昭和25)年「買物ブギ」は45万枚という驚異的な枚数のレコードを販売したが、この歌を最後に芝居などに活動の場を移してしまった。その後、懐メロブームが来ても「私は時代の歌手だった」と再登場を拒否し、歌を再び歌うことはなかった。もし、もう5年早くテレビが始まっていたら・・・。
笠置シズ子の悲劇は、その全盛期にテレビがなかったことと、美空ひばりという余りにも天才的な少女にあっという間にスターの座を追い越されたことだろう。
♪おっさん おっさん これなんぼ…
わてほんまに よういわんわ ・・・
大ヒットした大阪弁の「買物ブギ」の歌詞は、現在市販されているもののラスト近くでは「おっさん」の連呼のあと「わて聞こえまへん」となるが、オリジナルは「わてつんぼで聞こえまへん」なのだ。この歌詞に不適切な用語が使われているというので、ある時期よりの復刻では歌詞を一部削除したものが出回っている。
又、余談だが、黒澤明監督・三船敏郎主演の「酔いどれ天使」の劇中、笠置シズ子がキャバレーの歌手役で、「ジャングル・ブギ」を歌っているが、この歌は映画監督黒沢明の作詞によるものである。天才監督は何でも出来るんだね~。
(画像は、ブギの女王 全曲集・笠置シヅ子)
参考:
はてなダイアリー - 笠置シヅ子とは
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B3%DE%C3%D6%A5%B7%A5%C5%BB%D2?kid=82845
ブギの女王 笠置シヅ子
http://teruki.com/shizukokasagi.html
買物ブギ・歌詞
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kaimonobugi.html
笠置シヅ子全曲集 ( COLUMBIA : 72CA-2894 / 96 ; 3CDs )
http://pseudo-poseidonios.net/portraits/kasagi.htm
笠置シヅ子出演映画
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0063010.htm
1914(大正3)年8月25日生まれ。香川県出身。1927(昭和2)年大阪松竹楽劇部に入団。三笠静子と名乗り、大阪松竹座『春のおどり』で初舞台。子役としてスタート。1936(昭和11)年『春のおどり』の「春はジャズに乗って」が大評判となり、ジャズ歌手としても認められる。三笠宮家が設立されたので、笠置シヅ子と改名。1938(昭和13)年に東京松竹楽劇団に入る。東京入りしたのは、恋人である吉本興業の御曹司が早稲田の学生だったためとか。しかし、吉本興業の創業者吉本せいの強硬な反対や御曹司の急逝もあって、笠置の結婚生活は長くは続かなかった(このとき既にお腹には一女が)。1947(昭和22)年夏発売の「東京ブギ」が大ヒット。この後「買物ブギ」などでブギの女王となる。軽妙洒脱な芸風で一時代を築き、民衆から支持されていた。
敗戦後、国民を元気付けてくれた歌手の第1号は、1945(昭和20)年封切りの松竹映画「そよかぜ」の主題歌「りんごの歌」(サトウ・八チロー作詞、万城目正作曲)を歌った並木道子だったが、その次が、1947年(昭和22)年12月に同じコロンビアから売り出された「東京ブギウギ」(鈴木勝作詞、服部良一作曲)を歌った笠置シズ子であろう。その強烈なリズムに乗った曲、歌声は、瞬く間に全国に広がり、生活に汲々としていた人々の鬱憤を晴らし、勇気付けてくれた。彼女は、戦前、パンチのきいた地声でジャズを歌い活躍していたが、時局にそぐわないとして軍や警察から公演中止を求められていた。しかし、戦後、服部良一とのコンビの「東京ブギウギ」で復活、日劇のステージのワンマンショーでは1週間に7万人を超す観客を動員する記録を立てた。「東京ブギウギ リズムうきうき 心 ずきずき わくわく」獣の叫びに似たような彼女の歌声。彼女はこの当時立ち姿で歌う流行歌手の型を破って、激しく動き回り、歌って踊った。そこが新鮮だった。この当時、人気絶頂の笠置シズ子の物真似をして一人の少女・美空ひばりが芸能界にデビューする足がかりを掴んだ。しかし、笠置シズ子が、美空ひばりを、自分の物真似をしているとこき下ろしたことも有名な話。自分の持ち歌を他人が歌うことを大変嫌ったのだ。そして、1950(昭和25)年「買物ブギ」は45万枚という驚異的な枚数のレコードを販売したが、この歌を最後に芝居などに活動の場を移してしまった。その後、懐メロブームが来ても「私は時代の歌手だった」と再登場を拒否し、歌を再び歌うことはなかった。もし、もう5年早くテレビが始まっていたら・・・。
笠置シズ子の悲劇は、その全盛期にテレビがなかったことと、美空ひばりという余りにも天才的な少女にあっという間にスターの座を追い越されたことだろう。
♪おっさん おっさん これなんぼ…
わてほんまに よういわんわ ・・・
大ヒットした大阪弁の「買物ブギ」の歌詞は、現在市販されているもののラスト近くでは「おっさん」の連呼のあと「わて聞こえまへん」となるが、オリジナルは「わてつんぼで聞こえまへん」なのだ。この歌詞に不適切な用語が使われているというので、ある時期よりの復刻では歌詞を一部削除したものが出回っている。
又、余談だが、黒澤明監督・三船敏郎主演の「酔いどれ天使」の劇中、笠置シズ子がキャバレーの歌手役で、「ジャングル・ブギ」を歌っているが、この歌は映画監督黒沢明の作詞によるものである。天才監督は何でも出来るんだね~。
(画像は、ブギの女王 全曲集・笠置シヅ子)
参考:
はてなダイアリー - 笠置シヅ子とは
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B3%DE%C3%D6%A5%B7%A5%C5%BB%D2?kid=82845
ブギの女王 笠置シヅ子
http://teruki.com/shizukokasagi.html
買物ブギ・歌詞
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kaimonobugi.html
笠置シヅ子全曲集 ( COLUMBIA : 72CA-2894 / 96 ; 3CDs )
http://pseudo-poseidonios.net/portraits/kasagi.htm
笠置シヅ子出演映画
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0063010.htm