今日(3月12日)は「サンデーホリデーの日」、「半ドンの日」
1876(明治9)年、官公庁で土曜半休・日曜休日制が実施された。
それまでは、1868(明治元)年9月の太政官布告により、31日を除く1と6のつく日を休日としていたが、欧米との交易等で不便があったため、欧米と同じ仕組みに改めることとした。
近世では、時刻を知らせるのに、大寺院の梵鐘に加えて、時の鐘や太鼓が城下町毎に整備され、農村の小さな寺の梵鐘でも時を知らせていた。明治になっても、まだまだ時計というものは高価なもので、一般の人達が気軽に持てるものではなく、多くの人たちに正午を知らせるために使われたのが大砲である。皇居旧本丸の小高い丘に大砲が置かれ、正午の時報が大砲の空砲により行われるようになったのは、1871(明治4)年の9月9日からである。この大砲の音は、みんなから「ドン」と呼ばれ親しまれていた。又、土曜日の仕事が半日で終わることから、丸の内に勤める人たちの間で「半ドン」と呼ばれるようになった。又、このドンは全国の都市で行われるようになり、それとともに「半ドン」という言葉も全国に広まったという。
日本では、江戸時代に入り、外国から輸入された機械時計を参考にして、工芸的な日本独特の「和時計」と呼ばれるものが作られるようになっていた。しかし、それは、「不定時法」と云う時刻表示を用いた時計で、不定時法とは、欧米が用いていた「定時法」と違い、日出と日没によって昼と夜に分け、それぞれを6等分(九ツ~四ツ)する時刻表示方法である。そのため、時刻と太陽の位置は一致するが、夏の昼の時間は長く、夜の時間は短くなるなど、季節によって時間の長さが変化するなどの欠陥があった。
江戸時代も末期となり、定時法で時刻を示す西洋機械時計が数多く輸入されて普及し、また一方では定時法を使用していた外国との交渉が増加するにつれて、不定時法を使用していては何かと不都合が起こるようになり、1873(明治6)年、太陽暦が採用されるとともに時刻法も1日24時間の定時法が採用されたが、その後も、まだ、一般には時計が普及していなかったこともあり、各地でドンによる時報が行われた。1886(明治19)年に、日本標準時が定められるまでは、各地方ごとのローカル時間で時報をしていたので、地方毎に時差があったそうだ。
このドンは1922(大正11)年から予算削減のため順次廃止された。(東京では昭和4年に廃止)。この当時、時計は普及しつつあったが、まだまだ標準時間を知ることが出来なくて不便な人が多かったため、 サイレンにより時報を継続していたそうだ。そして、1925(大正14)年からはラジオ放送の時報がその役割を果たすこととなる。
半ドンの謂われについては、オランダ語で日曜日を意味するzondag(ゾンターク)が訛って「ドンタク」となり、土曜日は半分が休日であることから「半ドンタク」略して「半ドン」となったとする説もある。
最近は、週休2日制の会社も多くなり、趣味やレジャー、家族サービスのため土曜日の休みを利用するのも当たり前であるが、一昔前までは、土曜日が休みなんてのは殆どなく、むしろ民間の中小の会社では週休制で週一日、日曜日だけしか休めないところが多かった。だから、民間では土曜日が半ドンの会社は中規模以上の大手の会社だけじゃ~なかったかな・・・。しかし、公務員様は、明治の時代から半ドンを享受していたのですよね。
幸い、私の勤めていた大阪の商社は一応財閥系の会社だったので、土曜は半ドンであった。この日は、うれしかったね~。兎に角、週で一番楽しい曜日だったよ。日曜は、家でゆっくり休養するので、その前日・土曜日の半ドンは、午後、会社の者や友達との交流で楽しく過ごした。今の若い人は、余り、仕事仲間と付き合うことをせず、仕事が終わるとスッと帰宅するようであるが、私たちが若い頃は、会社のものはファミリーって感じで、時間があると仲間であちこち行楽に行ったり、野球やバレーなどスポーツをしたり、夜は一緒に飲み歩いたりと交流が深かった。そのような交流が、職場環境を良くし、仕事仲間との一体感も出来、和気藹々として楽しく仕事が出来ていたように思う。私が晩年の仕事を退く頃には、若者は、仕事は仕事などと割り切り、仕事が終わるとさっさと家に帰ってしまっていた。それが、今の新しい、生き方なのだろうが、今でも、私には、若い頃の会社の仲間との付き合いが懐かしく思い出される。本当に半ドン・・・て良かったな~と。
因みに、全国の祭りでも有名な『博多どんたく』は、「博多松囃子」をその起源とし、今から826年前の1179(治承3)年に始まったそうで、「どんたく」の名称は、明治時代に一時禁止されていた「松ばやし」を明治12年に再開された際に呼ばれ始めたもので、オランダ語のZondag(休日)がその語源といわれている。この当時は、休日のことを一般的にドンタクといってたのでしょうね。
(画像はドン(午砲)。日本の時刻史 --時の歴史--より借用)
参考:
日本の時刻史 --時の歴史--
http://www.geocities.jp/afi_651/japantime.html
博多どんたく
http://www.media-line.or.jp/dontaku/gai.html
国立国会図書館
漏刻(ろうこく)から電波時計まで~日本における時間と時計~
http://www.ndl.go.jp/jp/gallery/permanent/jousetsu120.html
(社)日本時計協会HP
http://www.jcwa.or.jp/index.shtml#
祝日について
http://www.h3.dion.ne.jp/~sakatsu/holiday_topic.htm
1876(明治9)年、官公庁で土曜半休・日曜休日制が実施された。
それまでは、1868(明治元)年9月の太政官布告により、31日を除く1と6のつく日を休日としていたが、欧米との交易等で不便があったため、欧米と同じ仕組みに改めることとした。
近世では、時刻を知らせるのに、大寺院の梵鐘に加えて、時の鐘や太鼓が城下町毎に整備され、農村の小さな寺の梵鐘でも時を知らせていた。明治になっても、まだまだ時計というものは高価なもので、一般の人達が気軽に持てるものではなく、多くの人たちに正午を知らせるために使われたのが大砲である。皇居旧本丸の小高い丘に大砲が置かれ、正午の時報が大砲の空砲により行われるようになったのは、1871(明治4)年の9月9日からである。この大砲の音は、みんなから「ドン」と呼ばれ親しまれていた。又、土曜日の仕事が半日で終わることから、丸の内に勤める人たちの間で「半ドン」と呼ばれるようになった。又、このドンは全国の都市で行われるようになり、それとともに「半ドン」という言葉も全国に広まったという。
日本では、江戸時代に入り、外国から輸入された機械時計を参考にして、工芸的な日本独特の「和時計」と呼ばれるものが作られるようになっていた。しかし、それは、「不定時法」と云う時刻表示を用いた時計で、不定時法とは、欧米が用いていた「定時法」と違い、日出と日没によって昼と夜に分け、それぞれを6等分(九ツ~四ツ)する時刻表示方法である。そのため、時刻と太陽の位置は一致するが、夏の昼の時間は長く、夜の時間は短くなるなど、季節によって時間の長さが変化するなどの欠陥があった。
江戸時代も末期となり、定時法で時刻を示す西洋機械時計が数多く輸入されて普及し、また一方では定時法を使用していた外国との交渉が増加するにつれて、不定時法を使用していては何かと不都合が起こるようになり、1873(明治6)年、太陽暦が採用されるとともに時刻法も1日24時間の定時法が採用されたが、その後も、まだ、一般には時計が普及していなかったこともあり、各地でドンによる時報が行われた。1886(明治19)年に、日本標準時が定められるまでは、各地方ごとのローカル時間で時報をしていたので、地方毎に時差があったそうだ。
このドンは1922(大正11)年から予算削減のため順次廃止された。(東京では昭和4年に廃止)。この当時、時計は普及しつつあったが、まだまだ標準時間を知ることが出来なくて不便な人が多かったため、 サイレンにより時報を継続していたそうだ。そして、1925(大正14)年からはラジオ放送の時報がその役割を果たすこととなる。
半ドンの謂われについては、オランダ語で日曜日を意味するzondag(ゾンターク)が訛って「ドンタク」となり、土曜日は半分が休日であることから「半ドンタク」略して「半ドン」となったとする説もある。
最近は、週休2日制の会社も多くなり、趣味やレジャー、家族サービスのため土曜日の休みを利用するのも当たり前であるが、一昔前までは、土曜日が休みなんてのは殆どなく、むしろ民間の中小の会社では週休制で週一日、日曜日だけしか休めないところが多かった。だから、民間では土曜日が半ドンの会社は中規模以上の大手の会社だけじゃ~なかったかな・・・。しかし、公務員様は、明治の時代から半ドンを享受していたのですよね。
幸い、私の勤めていた大阪の商社は一応財閥系の会社だったので、土曜は半ドンであった。この日は、うれしかったね~。兎に角、週で一番楽しい曜日だったよ。日曜は、家でゆっくり休養するので、その前日・土曜日の半ドンは、午後、会社の者や友達との交流で楽しく過ごした。今の若い人は、余り、仕事仲間と付き合うことをせず、仕事が終わるとスッと帰宅するようであるが、私たちが若い頃は、会社のものはファミリーって感じで、時間があると仲間であちこち行楽に行ったり、野球やバレーなどスポーツをしたり、夜は一緒に飲み歩いたりと交流が深かった。そのような交流が、職場環境を良くし、仕事仲間との一体感も出来、和気藹々として楽しく仕事が出来ていたように思う。私が晩年の仕事を退く頃には、若者は、仕事は仕事などと割り切り、仕事が終わるとさっさと家に帰ってしまっていた。それが、今の新しい、生き方なのだろうが、今でも、私には、若い頃の会社の仲間との付き合いが懐かしく思い出される。本当に半ドン・・・て良かったな~と。
因みに、全国の祭りでも有名な『博多どんたく』は、「博多松囃子」をその起源とし、今から826年前の1179(治承3)年に始まったそうで、「どんたく」の名称は、明治時代に一時禁止されていた「松ばやし」を明治12年に再開された際に呼ばれ始めたもので、オランダ語のZondag(休日)がその語源といわれている。この当時は、休日のことを一般的にドンタクといってたのでしょうね。
(画像はドン(午砲)。日本の時刻史 --時の歴史--より借用)
参考:
日本の時刻史 --時の歴史--
http://www.geocities.jp/afi_651/japantime.html
博多どんたく
http://www.media-line.or.jp/dontaku/gai.html
国立国会図書館
漏刻(ろうこく)から電波時計まで~日本における時間と時計~
http://www.ndl.go.jp/jp/gallery/permanent/jousetsu120.html
(社)日本時計協会HP
http://www.jcwa.or.jp/index.shtml#
祝日について
http://www.h3.dion.ne.jp/~sakatsu/holiday_topic.htm