今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

バナナの日

2006-08-07 | 記念日
今日(8月7日)は「バナナの日」
日本バナナ輸入組合が制定。バナナの消費拡大を図るため、「バ(8)ナナ(7)」の語呂合わせから記念日とされている。
「バナナがいっぽん ありました 青い南の 空の下
こどもが二人で 取りやっこ バナナがツルンと とんでった
バナナはどこへ 行ったかな バナナン バナナン バナァナ」
動揺「とんでったバナナ」作詞:片岡輝、作曲:桜井順。
MIDIはここ→「とんでったバナナ」
子どもの大好きなバナナ。バナナ(甘蕉、学名Musa spp.)はバショウ科の多年草であり、その果物。原産は熱帯アジア、マレーシアなどと言われている。その後、太平洋の島嶼部、アフリカ、西アフリカ、アメリカへと伝播その地で栽培されるようになる。 バナナという言葉は、アラビアもしくは西アフリカの「指」を意味する単語が語源となっているそうで、一房のバナナを英語で“ a hand of bananas ”と言い、一本のバナナを“ finger ”と数えるのはその名残りだとか。
よくバナナの木と言われるが、本当は木ではなくて、高さが1.5メートルから10メートルにもなる大きな草なのだそうだ。この大きな草は、バナナが収穫された後に切り倒されるが、その根もとから新しい芽が出てきて、この芽が大きくなると、またバナナの実がなる。日本ではごく少数しか見かけないが、熱帯地域では多くの種類が栽培されており、世界では300種類以上のバナナが作られているそうだ。果皮の色をとってみても、一般的に知られるものが緑色から黄色であるが、桃色から紫まで多様である。今、日本に輸入されているバナナは、フィリピンやエクアドル、台湾で作られているものがほとんど。
輸入バナナには、植物防疫法に基づく検疫が行われる。そのため、輸入バナナは検疫の関係上、まだ熟していない青い状態のものが陸揚げされ、主に輸入業者による燻蒸(くんじょう)の後、バナナ加工業者の摂氏14度に保たれた室(むろ)に入れられて追熟される。果実熟成用エチレンガスを噴射したり、湿度を調整したりと、この追熟の加工を経ることにより、より美味しいバナナになっていく。ちなみに、船便輸送中に自らのエチレンガスで黄色くなってしまったものは旨みも劣り、一応廃棄処分されることになっているというが・・・。
日本へのバナナの伝播は遅かったようで、現在、沖縄や奄美で栽培される短尺の島バナナは小笠原から1870年頃にもたらされた可能性が強く、小笠原にはハワイあたりから1830年以降に導入されたようだという。
日本へのバナナの輸入は1903(明治36)年に台湾の北端に位置する基隆(キールン)の芭蕉商、都島金次郎が日本郵船の西京丸で篠竹製の魚かごに積めて台湾バナナ7籠を神戸に持ち込んだのが始まりといわれている。それが、大量輸入されるようになったのは、1908(明治41)年以降で、個々の商売人の勝手な輸入ではなく、輸送と取引が組織化されて行われるようになったのは、1923(大正13)年に台湾青果株式会社が設立されてからのこととか。
バナナと言えば、年配の人なら、「バナナのたたき売り」を思い出す人も多いと思うが、この、「バナナのたたき売り」の発生は門司だと言われている。バナナを基隆から神戸に送るとき関門海峡の潮の流れが強いためと石炭船のため、潮まちと石炭 水、食糧の補給と船員の休養のため門司に寄港した。又、1908(明治41)年以降台湾から神戸バナナが大量輸入されるようになると、船倉で少しいたんだバナナ(三流品)を市場に出さず、露店商が安く買い、それを売りさばいた。このとき、右手の芍棒(しゃくぼう)で戸板をたたきながら、口上よろしく客を集めて、安売りしたのが、門司港名物「バナナの叩き売り」の始まりだというのいうのである。
門司港駅近くに建つ「バナナの叩き売り発祥の地」の記念碑には、次のように記されている。
「昔しを偲べば、大陸、 欧州、台湾、国内航路の基幹と、九州鉄道の発着の基地点として大 いに発展した、ここ桟橋通りは往昔の絵巻の一こまとして、アセチレンの灯のにぶい光の 下で、黄色くうれたバ ナナを戸板にならべ、だれとはなしに産まれ 伝わる名セリフは大正初期~昭和十三、四年頃まで不夜城を呈し、日本国中の旅行者の、目を楽しませた。バナナの叩き売りの風情は門司港のこの地桟橋通り附近を発祥の地と由来せし。昭和五十三年四月 日」
以下参考の#BANAtyanWeb「恋するバナちゃん」では、昔懐かしい「門司バナナの叩き売り/元祖オリジナル口上」や、「イガやんのバナちゃん節(早口バナナ口上)」の視聴が出来るよ。#BANAtyanWeb「恋するバナちゃん」→ http://www.bea.hi-ho.ne.jp/voice/koibana.html
日本最大のバナナ輸入港、神戸に住む私も、子供の頃、湊川の新開地などで「バナナの叩き売り」を聞いたのを思い出す。現在のバナナのたたき売りは「バナナの叩き売り保存会(門司港発展期成会)」によって継承されているそうだ。
その後、戦時中に台湾のバナナ生産はコメの生産を優先するために減少し、日本の八百屋からも姿を消したことがあるが、1950(昭和25)年に、日本・台湾間で通商協定が結ばれ、バナナはふたたび輸入されるようになる。ただし、平均月収が約1万円の当時、バナナは卸値で1キロ約1000円という超高級品であり今のように誰にでも食べれるものではなかった。その後、1961(昭和36)年~62年(昭和37)年に輸入船の船員からコレラ菌が検出され、台湾バナナは一時的に輸入禁止となることなどもあったが、日本の高度経済成長の流れのなか、翌1963(昭和38)年に日本政府がバナナの輸入を自由化したことでバナナはブームとなる。そして、このときに新興勢力としてバナナ市場に南米のエクアドル産が登場したが、台湾バナナの甘みに慣れた日本人には、あまり受け入れられれず、1960年代後半までは台湾からのバナナの輸入量が急激に増加し、1967(昭和42)年のピーク時には40万トン近くに達していたという。日本のバナナ輸入先は1960年代まで台湾(1963年のみエクアドル)、1970年代前半にはエクアドルがトップになった。しかし、1963年に輸入が自由化されたのと前後して、日本のバナナ市場に目を付けていたユナイテッド・フルーツ社、キャッスル&クック社(Castle&Cooke)、デルモンテ社(Del Monte)の3社が、相次いでフィリピン、ミンダナオ島に進出。それらはそれぞれチキータ(Chiquita)、ドール(Dole)、デルモンテというブランドで知られるようになる。そののち住友商事(旧Banambo、現Gracioブランド)もフィリピンに進出し、1960年代末にはこれらアメリカ系3企業と日系1企業の4社がそれぞれ独自の栽培体制を確立する。そのため、日本のバナナ輸入先は1960年代まで台湾(1963年のみエクアドル)、1970年代前半にはエクアドルがトップであったが、それ以降は4大多国籍企業によりフィリピンが高いシェアを維持しているという。 これが日本をはじめ先進国の人々の食卓に見られる「ドル・バナナ」といわれるもの。日本に輸入されているバナナには必ずといっていいほどシールが付いている。このシールにはさまざまな横文字のブランド名が付いているが、その80%は、先ほど述べたアメリカの「ビッグ3」と呼ばれる、ドール、チキータ、デルモンテが世界各地に置いた農園から輸出したもの。(日本企業では住友ブランドのBanamboがその1割ほどのシェアを持っているだけ)
バナナは栄養もたっぷり。ある土地では「バナナの生える土地では、人間は飢えることがない」とまで言われているそうだ。
ところが、バナナの歴史はかつての植民地支配と深い関係があり、資源の少ない植民地で、宗主国は自国の利益になる食物を単一的に栽培させた。そして、広い農地を暴力的に確保し、植民地の人々を奴隷のように働かせた。 英語で「バナナ・リパブリック」といえば、アメリカのファッション店「バナナ・リパブリック」を思い出す人もいるかもしれないが、辞書をめくれば、軽蔑語で、「バナナなどの単一作物を栽培し、植民地支配を受ける中南米の小国」を意味するのだという。
南米のパナマも「バナナ・リパブリック」といわれる、西側の資本で開拓された農園が広がる中南米諸国のひとつで、そこには地元労働者が低賃金で雇われるという図式がいまだに残っているという。そのような農園が曲がりなりにも貧困国の経済の一端を支えている。今でも、ビッグ3が世界市場を寡占し、途上国の経済的自立を妨害していることに変わりはない。 このような国への配慮をどのようにしていくか。そこでのキーワードは「フェアトレード」と「オーガニック(低(無)農薬)」だという。 フェアトレードとは 「公正な貿易 fair trade」という意味で、「自由貿易 free trade」に対して 造られた言葉である。このような日本のバナナ市場の流れに対して、1980年代後半から、多国籍企業を介さずにバナナを輸入する民衆交易が現れるようにもなってはいる。タイなどの生産者団体と日本のNGOや生協が提携し、おもに有機栽培により生産されたバナナを日本に輸入しているが、フェアトレードにはまだ関心が向けられているとはいないようである。一度、以下参考に記載の「お茶の間から世界を変えよう!」の中のバナナ戦争/皮をむけば曲がった世界経済が見えてくるのページを見ておいて欲しい。ビッグ3も加盟する「日本バナナ輸入組合」ホームページにも、バナナに関する役に立つ情報は満載なものの、それらがだれによって、どのように生産されているかなどについては語られていない。
「デーィオ デエエィオー」 「テライコマンミワンゴーホー」 「コンミスタタリマンタリミバナーナ」
浜村 美智子の『バナナ・ボート  Banana Boat(Day O)』。この歌は、ハリー・ベラフォンテが1956(昭和31)年に歌ってアメリカで大ヒットした『バナナ・ボート』の日本語カヴァーである。翌年、日本で浜村美智子が歌い、これまた 爆発的にヒットし、大変なカリプソ・ブームが起こった。日本に初めてカリブ海の音楽を教えてくれたベラフォンテであるが、彼は、ニューヨーク市ハーレム生まれのジャマイカ系黒人。1956年の『バナナ・ボート』が大ヒット、アルバム『カリプソ』も当時としては珍しいミリオンセラーを記録し、一躍スターとなった。この『バナナ・ボート』はジャマイカの労働者がバナナを船に積み込むときに歌う労働歌を元に作られた曲で、「デーオ」という掛け声が特徴的。
「テライコマンミワンゴーホー」は「Daylight come an’ me wanna go home。」
「コンミスタタリマンタリミバナーナ」は「Come, Mr. Tallyman, tally me banana。」
つまり、この歌詞は、”荷役の人夫が「検数係さんよ、オレが運んだバナナを数えてくれよ。もう日が出たから、家に帰りたいんだよ”といっているもの。
貿易の中心地、ジャマイカはカリブ海のほぼ中心に位置し、現在でもバナナ農園が盛んだ。「バナナ・ボート(原題 Day dah light 夜があける)」もバナナと共にジャマイカから漕ぎ出したのだろう。港湾の積み荷は夜を徹して行われ、何時しか空が白み出す・・・男も女も帰りたい(Wan' go home)と歌い出す。実際には、悲しい歌である。
ベラフォンテは自身のテレビ番組のプロデューサーとして、1960年に黒人では初めてエミー賞を受賞。以降は財団を設立して黒人の地位向上のために力を注ぎ、公民権運動に積極的に関わるなど、音楽よりも社会活動家として活躍するようになる。
以下参考の神戸税関の「バナナ(生鮮)」の輸入」によると、国内の果実の消費量は減少傾向にある中でバナナの消費量は増加しているようでだ。バナナは日本では沖縄や奄美大島などの一部の地域でしか栽培されておらず、ほとんどは輸入されてきたもの。港に到着した時は緑色であおく、硬いものだが、室(むろ)で追熟加工され、スーパーなどの店頭で見慣れている黄色く熟された、軟らかいものに変わる。 2004(平成 16) 年の全国における輸入量は 4 年ぶりに 100 万トンを超え、神戸港においては 6 年連続で 20万トンを超えた。神戸港の全国シェアは数量では 23.3%、価額では 23.0%を占め、数量では 2 年連続、価額では 4 年連続で第 1 位となっているという。台中の3つの主要港がある台湾と神戸の結びつきは深く、特にバナナは有名で、1952(昭和27)~1958(昭和33)年の台湾バナナが中心の時代には日本の輸入分の9割が兵庫突堤で荷揚げされた。その時からは、輸入全体に占める割合は減ったとはいえ、いまだ、日本の輸入のトップの位置にいるのは、さすが、伝統港である。
(画像は我が家の吊るし器に吊っているバナナ。地面に置かず吊っておくと日持ちが良いようだ。まだ、購入してきたばかりであり、ホシ(シュガースポットと呼ぶ)が出ていないが、見場は悪くとも熟度満点のホシが出たバナナが甘くて美味しく、免疫力UPの効果が期待できるそうだ。)
参考:
バナナ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%8A
バナナ大学/バナナ輸入組合広報室
http://www.banana.co.jp/
「バナナの足」研究会
http://www.geocities.jp/banana_rnj/
夕焼けバナナ倶楽部 Tokyo Sunset Banana Club
http://home4.highway.ne.jp/okabes/co.htm
大道芸通信 第101号
http://daidogei.at.webry.info/200512/article_18.html
#BANAtyanWeb{恋するバナちゃん」
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/voice/koibana.html
お茶の間から世界を変えよう!
http://www.ochanoma.info/index.html
Web マガジン[KAZE]風/2回 パナマ運河と “バナナ・リパブリック” 05/08/15 ジャーナリスト 堀田 佳男
http://kaze.shinshomap.info/report/gaikokujin/02.html
なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html
ハリー・ベラフォンテ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%86
基隆市 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%BA%E9%9A%86%E5%B8%82
Banana Republic Japan - バナナ・リパブリック 日本公式ウェブサイト
http://bananarepublic.co.jp/
[PDF] 「バナナ(生鮮)」の輸入/神戸税関
http://www.kobe-customs.go.jp/80boueki/topix/h17/banana.pdf
台湾青果株式会社
http://www.taiwan-fruits.jp/