今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

文化財保護法施行記念日

2006-08-29 | 記念日
今日(8月29日)は、「文化財保護法施行記念日」
1951(昭和26)年に制定。1950(昭和25)年、国宝・重要文化財等を保護するための基本となる法律「文化財保護法」が施行された。
前年1月26日に法隆寺金堂が全焼したのをきっかけに、文化財保護政策の抜本的改革が望まれ、従来の「国宝保存法」「重要美術品等保存法」「史蹟名勝天然記念物保存法」をまとめた「文化財保護法」が制定されたことによる。奈良の法隆寺金堂が火災により焼損したことをきっかけに、文化財を火災や震災から守るとともに、文化財愛護思想の普及高揚を図る目的で、1955(昭和30)年に文化庁と消防庁が1月26日 を「文化財防火デー」 にも制定。各地で文化財の防火訓練も行われている。
文化財を火災から守る事も大事だが、最近は、害獣被害や盗難事件からの国宝・重要文化財の保護もしなければならないし、又、清水の舞台はヒールで穴だらけ、奈良の法隆寺東大門には「みんな大好き」の落書が……。その後も、名古屋城や彦根城でも、悪質な落書き被害が相次いで発見されるなど、特に、最近は、このような寺や神社の国宝・重要文化財などへのいたずら書きや落書が社会問題化している。そのようなことで、各地で調査をすると、二条城や三十三間堂ほかいたるところであくどい落書きが見られるようだ。
ま、兎に角、最近は、夏の海でも、近隣の人の迷惑も考えず、真夜中に花火を打ち上げ、注意する人に何が悪いと毒づいている若者の姿が連日テレビなどで報道されているが、わが地元神戸の海でも酷い状況だ。戦後の誤った教育のお陰で、若者は特に酷いが、いい年をした大人も含めて、もう、現代の日本人には、道徳心の低下は酷く、モラルは地に落ちたと言った感がある。人が迷惑をこうむろうが、環境を害しようが、人が何と言おうが自分のしたいことは何でもする・・・そんな、世の中になってしまった。
日本人もこのようにモラルの低い民族になってしまった以上、重要文化財への落書きが悪いと言っても、「ただの落書きくらい何が悪いんだ」・・・と開き直られそうだ。
落書きと言えば、米国・ニューヨーク市の当時のジュリアーニ市長の落書き一掃の話を思い出す。当時、ニューヨーク市内の地下鉄などは落書きだらけ、ゴミだらけ。そして、犯罪率の高いことで有名であった。米ニュージャーシー州ルトガーズ大学刑事司法学部教授のジョージ・ケリング博士が提唱した、「割れ窓理論(Broken Windows)」というのがある。この理論は、「割れ窓とは、この言葉のとおり建物やビルの窓ガラスが割られ、そのまま放置しておくと外部からは建物やビルは管理されていないと認識され、割られる窓ガラスは増える。建物やビル全体が荒廃し、それは更に地域全体が荒れていくという理屈である」。言い換えれば、些細な事件にならない、小さなミスを潰すことこそ、大きな事故を防ぐ手立てになるということである。つまり、落書きが多い地域では、軽犯罪が起きやすい。→軽犯罪が多いと凶悪犯罪が増える。→小さな問題を放置する事で連鎖的に問題は拡大して行く。と云う訳で、ジュリアーニ氏は、この手法に着目。落書を徹底的に消し、小さな問題を捨て置かなかった。その結果、凶悪犯罪が激減したという話である。
一応日本でも、落書きは犯罪で、「刑法261条器物損壊罪」に該当する。重要文化財だけでなく、最近は、真新しい戸建やマンションの壁、洒落た店のシャッターや看板など街じゅうのあちこちに無神経な落書きが目立つ。これらの落書きをそのまま放置すると、次第に広がり、文化財への落書に広がり、そのようなモラルの低下が、他人への迷惑行為をなんとも思わないようになり、又、犯罪へとつながっているのである。そのような意味では、落書きを余り軽く見ない方が良いだろう。
しかし、日本人のこの落書き好きは、今に始まったものでもない。現在にも伝わっている落書の古いものとしては、建武の新政における混乱を風刺した『二条河原の落書』が知られている。鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇により開始された建武の新政が行われるなか、1334年(建武元年)8月に、建武政権の政庁である二条富小路近くの二条河原に立てられた、だれが書いたとも知らぬ一通の落書きは「此頃都ニハヤルモノ」として、眼前にくりひろげられつつある世の珍奇な出来事を七五調の名調子に列挙し、あわせてその内実を巧みに諷刺した日本落書き史上の最高傑作であり、21世紀の今描かれている建武政権像も、この「落書」に大きく影響されているといってもいい過ぎでないと言われている。そして、その「落書」が、「天下ノ統一メヅラシヤ、御世に生テサマ々ノ、事ヲミキゾ不思議共、京童ノ口ズサミ、十分一ゾモラスナリ」としめくくっている。珍しく不思議な御世、これがこの3年に政権に対する当時の人々の統括的な印象だったのであった。この当時の落書は閉ざされた小世界ではなくて多数の人々の行き交う場所に掲げられたもので、二条河原の落書も二条河原で大衆の目に晒され、時の政情を批判したものである。また、このような批判としての落書ではなく戯れに描かれた絵では、鳥獣戯画に代表される滑稽な物が残されているが、また建物の壁や柱・床などに直接描かれる落書きもある。世界最古の現存の木造建築である法隆寺には、奈良時代に描かれた人の顔の落書が人目につかぬ天井裏の板にあり、同じく奈良時代に建てられた唐招提寺の梵天像の台座の裏にも人物像の落書がある。現代社会にあってモラルの低下から文化財などへの落書きによる汚損・破壊が懸念されるが、その一方で先にも述べたように歴史的に興味深い落書きがあるのも事実ではある。そして、このようなものは、日本だけのことではなく、世界各国でも同様に見られるようだ。
日本では古くから「へのへのもへじ」等の文字遊びとしての伝統的落書きも存在し、今でもこれをほとんど無意識に描く人も見られるように、人の場合、ある程度自発性が育ってきた幼児は、筆記具と紙さえ与えておけば、何時間でも落書き(もう少し丁寧に「お絵かき」と呼ぶ場合もある)をしている事が多いとされる。もし紙がなくなってしまうと、壁や床・家具に襖や障子にまで落書きを始めてしまう事もある。我が家でも、息子は今、結婚もしもう小学校1年生の子どもがいるが、その息子がまだごく小さいとき、私達に落書を咎められるので、こっそりと座卓の下にもぐりこんで書いたのだろう、座卓の裏にロウセキでかいた絵が今でも残っている。もう古い机なのでほかそうと思うのだが家人が懐かしいといって処分させてくれない。
だから、落書が許されて良いというものではない。特に、最近のものは、昔の落書のように、職人達がこっそりと、目に付かぬところへ戯れに書いたほほえましいものや洒落た内容のものといったものではなく、ただ単に、自己顕示欲を発散するための、程度の低い意味もないことをこれ見よがしに書いた落書は、ただ、見ていて、不快感を感じるだけのものである。自重してもらいたいものだ。
(画像は、「京童と二条河原落書」週刊朝日百科「日本の歴史」より。部分修正)
文化財保護法
http://www.geocities.co.jp/wallstreet/9133/bunkazai.html
国指定文化財の火災による被害件数
http://www.bunka.go.jp/1hogo/bunkazai_boukaday_higaikensuu.html
割れ窓理論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E3%82%8C%E7%AA%93%E7%90%86%E8%AB%96
重要文化財 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E8%A6%81%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1
落書き - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E6%9B%B8%E3%81%8D
少女マンガ論
http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/gr99/mw/02.html